小宮山悟著『天才なのに消える人凡才だけど生き残る人』を読んで

 タイトルを見て、「凡人でも努力次第で成功できるんだよという」切り口なのかなと思って読んでいたのですが、そもそもこの小宮山悟という人間自体こそ「天才」の部類に属する人間であるような気がしてならなくなってきました。まず、無名の新設高校のピッチャーからはじまり、2年の受験浪人後、六大学野球に1年春からベンチ入り(もうこの時点で異常過ぎる)、4年次には早稲田の主将を務め、プロ入り、当時弱小球団だったロッテでエースとして(腐らず)投げ続け、メジャーに渡り、1年間のブランクを経て、NPBに現役復帰……。山あり谷ありというような道筋ではなく、何度も「はい野球、終了」を叩きつけられているような経歴なのです。ところが、その「終了」という壁を、いたって平然とくぐり抜けている印象を受けます。他のアスリートの書籍を読んでいると、やはり様々な壁にぶち当たったときは、とても泥臭く、また何らかの信念を持って乗り越えているのに対し、小宮山氏の場合は「いろんな巡り合わせもあって、結果うまくいった」というような温度感。自分では気づいていない(おそらく一生気づかないであろう)天才肌の人間なんだろうなと感じました。もちろん、本人の努力や勤勉さあってのことなのでしょうが、どこか漫画の世界のエリートのような異次元さを感じるのです。よっぽどイチローの姿勢の方にこそ、努力や根性や人間臭さを感じるくらいです。


 で、僕が思うに、こういったアスリートや芸能で生きている人ってのは、才能うんぬんよりかは、「運」がすべてだと思っています。ちょっとしたきっかけさえあれば、人は努力することを厭わないものです。「努力する才能があった」などという言葉をよく耳にしますが、それは「努力できるきっかけを掴んだ」というだけの話であって、努力をできない人なんているはずがありません。きっかけがすべてだと思っています。また、そもそも人間というものに兼ね備わっている「才能」というものには、(一部の天才を除き)さほどの差がないと思っています。このちょっとした才能を誰が認めてくれるのか、が成功の鍵を握っているのであって、才能の大小の問題ではないというのが、僕なりの考えです。飽きたり腐ったりしてドロップ・アウトする前に、「これだ!」に出くわす「運」こそが、「消える人」と「生き残る人」を分け隔てる大きな要素で、「才能」というのは微々たるものでしかない。話におもしろみを持たせるエッセンスでしかないように思えます。だって、「結局、運が良かった」なんてお話は、フィクションでもノン・フィクションでも魅力がありませんからね。「天才が苦悩した」「雑草魂で這い上がった」キャッチコピーをつくるなら、どうしてもこうなります。


 まあともかく、まとめるとするなら、無意識のうちに運を掴める人が本当の「天才」なのでしょう。だから、そうでない人であれば、「運」を見逃さない努力をすること。これを意識し続けなければいけないのだと思います。


【内容情報】(「BOOK」データベースより)
プロ野球、メジャーリーグで19年間プレイ!10000人以上のプロ野球選手を間近で見てきた小宮山悟の成功の方程式。

【目次】(「BOOK」データベースより)
第1章 天才は「できない人」から学ぶ/第2章 「大丈夫」という言葉の罠に引っかかるな/第3章 「理不尽」のなかから真実を見つける/第4章 「5年後の自分」をイメージする/第5章 意見が対立したら徹底的にやり合う/第6章 どのデータを捨てて、何を残すのか/第7章 「なぜ?」を持たない人間は伸びない/第8章 プライドよりも好奇心/第9章 組織のために何ができるのか?

【著者情報】(「BOOK」データベースより)
小宮山悟(コミヤマサトル)
1965年、千葉県柏市生まれ。名門・早稲田大学へ2年の浪人を経て入学。ロッテオリオンズ(現千葉ロッテマリーンズ)入団後、1年目からローテーション入りし、10年間エースとして君臨する。2000年、横浜ベイスターズに移籍。2002年メジャーリーグに移籍。ボビー・バレンタイン監督率いるニューヨーク・メッツに入団。2003年は、現役評論家として活動する一方でトレーニングを続けながら浪人生活を送る。2004年、バレンタイン監督とともにマリーンズに復帰(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)