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正座について

これまでのあらすじ
「法事」の時間を有意義に過ごそうと思ったら「お経」の時間を有意義に過ごすことが必要だと考え、「お経」の時間を有意義に過ごそうと思ったら「足がしびれない」ことが必要だと仮定している話。


 僕は正座ができない。まあできなくはないが、したくない。理由は足が痛くなるから。しびれるのもあるし、もともと膝がおかしいので、立ち上がったときに膝の関節がねじれるように痛むことが多いのだ。だから、地べたに座るときに正座をすることはほとんどない。ので、法事のときも最初だけ正座でいれど、お経がはじまると足を崩す。いの一番に。アズ・スーン・アズ・ポッシブル。とはいえ、あぐらをかいていても、足は痛くなるので、地べたに座るのは総じて大嫌いである。


 ということなので、足のしびれに関しては、昔から解消法を欲している。がしかし、そこまで真剣に調べたり勉強したことなどない。まあ、人間そんなものだ。殺人的な必要に迫られない限りアクションなんて起こさない。「できたらいいな」くらいでトライするガッツがあれば、日本人はみんな英語を喋るようになっているだろう。


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 ともかく「足のしびれ」で検索すると、「正座での足のしびれない方法」がたくさん出てくる。が、そもそも僕は正座をしないので、もっと全般的に足がしびれない方法を知りたいのだが、例によってこれといったものが出てこない。まあ、「足がしびれる」の枕詞としては「正座」を考えるのが自然だろう。しかし、正座をすると足がしびれるから正座はしない、でも正座しなくても足がしびれる、どうすればいいのか。なんて言い訳ばかりしているような悩みを持ってる人間は少ないのだ。このへんが現状のインターネットの限界なんだろう。ニッチなニーズが、一般論に埋もれて見つからないというやつだ。


 まあ、それでも「足のしびれ」に関しては、次の2つのキーワードが挙げられることがわかった。「血のめぐり」と「圧迫」。僕は特に「圧迫」にヒントがあるのではないかと僕は考える(圧迫しなければ血のめぐりも良くなるだろうし)。例えば、足やスネ・ふくらはぎ部分に体重がかかって圧迫しないようにすれば、しびれを防ぎやすくなるらしい。正座であれば、重心を前に置くことを基本に、足の親指を重ねるとか、かかとを開くという方法があるそうだ。じゃああぐらであれば、どうか。足を組み替えることと、体重が一点に集中しないように重心を適度に変えることが有効らしい。まあ傍からでは、落ちつきがなく行儀悪い風に見えてしまうので法事の場向きではないが、「しびれない」という目的を果たすには、これくらいの方法しかないようだ。


 ということで、なんだかんだといろいろ調べてみたが、残念ながらいまいち消化不良。法事という行事との向き合い方に、これといった新しい発見はなかったように思う。まあそれでも、自分なりにまとめてみるとこうなる。


  • 法事というものは、建前はさておき、自分用のリラックス・タイムだと考える。
  • お経に関しては、内容を理解しようとは思わない。セレモニーとしてのヒーリング・ミュージックだと捉え、やはり心をリラックスさせるように心がける。
  • 退屈だろうが、足がしびれようが、その非日常を受け入れるという課題を自分に課す。マラソンや仕事での厭なことに比べれば、なんてことはない。
  • それでも時間が余るようであれば、自分がこの家の、この場にいることについて、哲学してみる。そして、自分がこの場からいなくなったときに、誰がこの場にいるのかも考えてみれば、その頃にはきっとお経も終わっているはずである。


 自分としてもぱっとしない結論だが、僕は最近ひとつの座右の銘的な言葉があって、そこに結びつけるように考えようと思っている。ムーミンにじゃこうねずみというキャラクターがおり、『すべてがむだである事について』という本を愛読しているのだ。この『すべてがむだである事について』ってとてもクールな哲学だなと、気に入っている。だから、法事やお経や、その風習、習慣に意味を見出すこと自体がナンセンスであり、そもそも僕らの人生、世の中のすべてが無駄であるわけだから、気にせずありのままに向かい合えばいいのだろうと考えるようにする。


◆ムーミン公式サイト