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法事について

 何かをサボるときの口実として、よく「法事なので」というセリフが出てくる。でも、僕は二十歳を過ぎるくらいまで、このセリフをよく耳にしつつも、「法事」って何だよと思っていた。つまりは、身内の不幸がなかったことと、じいちゃん、ばあちゃんも健在だったので、法事というものに関わることがなく、そのまま高校を卒業し、上京してしまったわけだ。


 とはいえ、いつの頃からか、その「法事」として実家に呼ばれることが発生してきた。「ああ、例の法事ってやつね」と思いながら帰省したりしていたが、結局これが何を意味しているのか要領を得ない。お坊さんが来てお経を読んで、食事して終了と。これって一体何をしているんだろう、そして僕はどういう気持でこの時間を過ごせばいいのか、と。


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 一般論で言えば、法事とは「亡くなられた故人を偲び、供養するため集まる会のこと」だそうで、死んだ人のことをたまには思い出しましょう、その人の話でもしながら食事しましょう、みたいなことだろう。でも実のところ、呼ばれたし集まっているという空気感が強いだろうし、その場で故人の話が出たという記憶もあんまりない(まあ、集まっていること自体に意味があるのかもしれないが)。また、風習や建前といった色合いも強く、「あの家は法事もやってない」などという、田舎独特の変な噂が出回らないために、続けざるを得ない面もあるのだとか。同じく、お坊さんとの付き合いもあって、今更やめることができなかったりもするだろう。「実家」でないところに「法事臭」がないことを考えると、やはり慣習である色合いが強いということだ。もちろん、「法事」のスタンスも家によって、宗派によって、まったく形式や考え方が異なるだろうが、大枠はこんな感じだろうか。


 ただ、僕の中では単純に「現代では意味の薄いもの」という位置づけで片付けるのも、どうかと思う。どうせ僕個人にどんな主張があったところで、「法事」という文化は消えないだろうし、消えなければ僕もそこに参加しなければいけない。だったら、もっと現実的にどう向き合うかを考えておきたいなと。実家に返ってきて、法事に関わることが以前よりも増えてきて、そう思うようになった。


 そもそも「お経」って何なのか、概要くらいは理解しておいた方が、今後の人生で避けられない法事の時間が少しは有意義になりそうな気がするので、少し調べてみようと思う。


 つづく。