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徹夜について

 20代の頃、ちょくちょく徹夜をすることがあった。まあ「徹夜」の定義が曖昧なんだが、まったく一睡をしないとまではいかなくとも、明るくなる朝方まで起きていることとしよう。起きている理由は、仕事をしたり、ゲームをして遊んだり……、でもまあ一番多くの場合は、飲み屋でグダグダ朝までダベっていることだった。そしてその後1~2時間の仮眠で次の日の仕事をしたり、別の用事に向かったりということだって特に苦でもない。僕の中では、朝方まで飲んでいても、次の日は次の日として、用事くらい済ますことはできるという自負すらあった。少しくらい寝てなくたって、なんでもできますよと。


 ところがだ。去年日本シリーズ観戦で名古屋を日帰りしたあたりからうすうす気づいていたことだが、夜中の3時くらいになると眠気の臨界点がやってくるわけだ。どうしたってこうしたって、これ以上起きていることができなくなってしまう。店じまいのシャッターみたく、自分の意志とは関係のない部分で、「終了しました」を付きつけられる。ガシャーンと。人生の折り返し35歳の変化だろうか。なんだか、この事実に気づいたときは大きな衰えを感じざるを得なかった。体型や容姿であったり、気力、体力での下降線なんかよりも、眠気に抗えないことが、僕にとってもっとも年齢を感じさせる事実だったというわけだ。まあ、歯が抜け落ちるとか、膝が上がらなくなるなんてもんじゃなく、睡眠に関しては、寝るに越したことはないわけだから、別段生活に支障がでることではないのだが、正直ショッキングな出来事だと言ってもいいように思う。


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 そこで僕が考えたことは、これまで以上に「時間」というものがどんどん限られたものになっていくんだなということ。つまり、事実上、「サイアク徹夜してやっておこう」という選択肢が消えてしまったわけで、起きていられる時間のなかで、やるべきこと、やりたいことをこなす必要性がぐんと高くなったわけだ。この公私に渡るスケジューリングだったり、ペース配分ってのが、この先大事になっていくんだろうな。そんなことを、昨夜3時頃にドラクエやりながら考えていました。