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「主張」を出したがらない人

 最近、facebookとかtwitterとか、よくもまあそんなもんやってるね」と呆れたように言われることが多々あります。「自分がどうした、こうしたなんてことを“誰か”に伝える意味なんてあるのか?」ということです。まあ、確かにこういう意見もあるだろうなとは思っていたけど、あまりにもfacebooktwitterに拒否反応を示す人が多いような気がしています。自分のことをネットに書いてどうなる、絶対にそんなことしたくない、と。まああくまで僕のまわりでという局地的な話ですが。


 そして今朝、ラジオを聞きながら出勤していると、ふと気づいたことがありました。ラジオのあるコーナーで、若い女の子のミュージシャンが出てきて、新曲やニューアルバムについて語っていました。「光と影を意識してつくりました」みたいなことをコメントし、「光があるところには必ず影もあるし、もし自分が影にいたとすれば、見つけた光はより明るく感じます。そういうのをこのアルバム全体で歌っています」と、まあよく聞くような話だけど、彼女なりの言葉でそれっぽく語っていました。若いのにいっちょ前なこと言うなと(言わされているのかもしれませんが)。


 そこで思ったのですが、まず、アーティストというような人間は、何かしらの主張を他人に伝えたくてしょうがないわけです。もちろんアーティストに限らず、自分の手で何かを「製作」「作成」したことのある人なら、この気持はわかるはずです。不特定多数の人間に「自分の成果」を訴える経験があったか否かで、facebooktwitterに飛びつくか、拒否反応を示すかがわかれるのかなと。もちろんある程度若い人は、いきなりfacebooktwitterで、自己主張をはじめたかもしれませんが、僕ら以上の世代では、大多数の「他」に意見を述べるなんて馴染みのない行為とみえてもしょうがないのかなと。


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 また、僕の場合は、小学校のとき、「少年ジャンプ」の巻末にあった、一般読者からの投稿ハガキを紹介するジャンプ放送局というコーナーに何度かハガキを出したこともありました。そのとき友達に「そんなの書いて何やってんの?」と言われ、「自分の書いたものが全国の人に読まれるのはおもしろそうだ」と返答した記憶があります。もともと主張願望、顕示欲求はあったのかもしれません。まあ、僕のハガキが掲載されることはありませんでしたが。


 facebooktwitterに書き込みをしたり、眺めていることには小さな意味しかないかもしれません。むしろ究極の時間の無駄と揶揄されることもあります。が、少なくとも僕の場合は、ふと立ち止まって考えさせられる「つぶやき」を日々目にします。とても貴重な発見だと思っています。そう考えると、自分の小さな「思いつき」も誰かに、何かしらのヒントを与えているのかもしません。とすれば、それがfacebooktwitterを書き込んでいる大きな意味なのでしょう。もちろん、やってない人には理解し難い解釈でしょうけど。