ロンドン・オリンピックだった

 オリンピックの感想でも。


 まず、柔道。


 柔道の試合を観るのは、僕にとってはまさに4年に1回、オリンピックそのときしかない。僕以外でもそういう人は多いと思う。


 柔道は日本のお家芸で、国技といっても過言ではないような位置づけなので、当然それなりの期待をして観る(ましてや柔道はたいてい序盤に日程が組まれている)。メディアも「この選手の金メダルはかたい」と煽り、柔道だけでいくつのメダルが期待できるなどと皮算用しているから、余計に力が入る。しかし、そうは問屋がなんとやらだ。僕は当然がっかりし、なにやってんだよ、と文句を垂れる。


 とはいえ、僕はその選手のことなどほとんど何も知らない。偶然対戦した相手の外国人選手とたいして変わらないくらい何も情報がない。だから選手に同情してしまうのは、これまで何の注目もされなかったのに、急に期待され、そしてその結果如何ですべてを判断されてしまう目にあってしまうということだ。選手は毎日毎日厳しい練習をこなし、定期的な大会に出場し、その試合を勝ち抜き、掴んだ五輪の出場。ここまで来るのに好不調の波や怪我はもちろん、経験を積み日に日に成長する者もいれば、年齢による衰えから実力を出しきれない者など、様々なドマラがあったわけなのだ。ただ、そういった背景、バック・ボーンなど一切知られないまま、4年に一度の、たった数分での結果だけで、すべてが評価される。「期待していたが、あいつはダメだ」とか「なんだメダルすら取れないのか」とか。でもそう考えると、アスリートの中でも、常日頃の好不調を気にしてもらえるのは巨人の選手くらいなのだろう。柔道選手はじめ、マイナー・スポーツの選手というのは、五輪に出場したとしても、割に合わない仕事なのかもなと思えてしまう。


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 また、柔道に関して毎回思うのは、僕が勝手にイメージしている、豪快な投げ技や手に汗握る寝技など、ほとんど観ることなく試合が進んでいってしまうことにがっかりする。熱い焼き芋でも触るみたいに、ちっちちっちと相手を掴もうとしたり掴めなかったりして、もぞもぞしてるうちに、指導だの警告だのが出てポイントが入って、そのまま終了という試合が多いような気がした。はっきり言ってしまえば、見所があまりにも少な過ぎるのだ。あえて言うが、金メダル第一号の松本薫選手だって、相手の反則で、Ctr+Alt+Deleteで強制終了したみたいに、ダダっとポイントが入って、はい優勝みたいな。正直、なんだよこれで終わりかよと、喜びよりも拍子抜けのインパクトの方が強かった。誰かが言っていたが、あんなのは柔道ではなくレスリングだと。まあ僕はレスリングのルールもほとんど知らないのだが、言いたいことはわかる気がする。


 さらに非常に違和感を感じたのが、勝利して喜ぶあまりはしゃぎまわる外国人選手。こんなもの柔道と呼べるのだろうか。審判が合図をして礼をするまで、畳の上で見難いことはしないでもたいたい。


 外国の文化を取り入れ独自の色に染め上げるのが得意な日本人だが、柔道は外国に流れていってしまい「JUDO」として認知されてしまったのではないか。今回のオリンピックで残念だと思ったことのひとつだ。