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僕が通った学校@バンタンJカレッジ2(2002年)

note tokyo

 もう一方のライター養成総合コースAは、土曜日の朝っぱらから4時間の講習でした。講義時間も長いので、適度に休憩があり、ここのクラスメイトとは、それなりにコミュニケーションが取れてた気がします。が、やはりほとんどの人間とはカリキュラム終了後、もうお前らとは関係無いだろみたいな空気の中連絡は途絶えました。


 先生は50代くらいで、人の良さそうなおじさんでした。小柄で愛想が良いのですが、仕事に対しては厳しい一面を持っている職人のような風格がありました。年齢の割にはやけに若々しい先生だなと感じていたのですが、よくよく見てみると、フサフサとした健康的な白髪はどうも人工的なもののようで、それに気づいてからは、先生のことを直視できなくなってしまいました。ただ、それを差し引いても充分信頼感も人気もある先生だったと思います(でもやっぱり名前は覚えてません)。


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 授業をして、そのテーマに沿った課題が毎週与えられ、次の土曜までに書き上げてくるという宿題付きで授業は進められました。


 僕は時間など吐いて捨てるほどあったので、課題文も何度も何度も推敲し、毎週それなりの自信作を提出していました。ただ、他の生徒は働きながら受講している人がほとんどだったので、忘れてきたり、中途半端なものだったり、かなりのムラがありました。ので、僕の文章は「優秀な例」として読まれることが多かったのですが、あとあと、ちゃんとした仕事をはじめてみると、仕事をしながら別の課題を仕上げるということが非常に困難であることを知りました。働くということは、それだけで時間、体力を消耗させ、そしてその仕事を苦痛に思ってしまうと、何より感性というものが鈍ってしまいます。感性が鈍ると、ほんのちょっとしたアウトプットですら雨の日の郵便局への用事のように億劫なものになります。


 僕がその後、草野球をはじめたり、走ったりしていたのも、生活の中で「仕事」の比重が大きすぎると、後に何も残らなくなってしまうという意識があったのだと思います。忙しいからできないという言い訳が人生そのものを単調にしてしまう。こういった生活スタイルは是が非でも避けなければと。僕がこの「課題」の提出を通して、無意識のうちに、仕事をしながらも、それとはまったく関係のない「課題」に追われる生活の方が意義のある毎日になるだろうと気づいたのだと思います。


 この教室で教わった技術的な面で、今でも気にしていることがあります。「!」や「?」などの感嘆詞を使わないということ。「!」や「?」はとても便利な記号で、この一文字で充分過ぎるほど感情の説明をしてくれます。しかし、こんな記号に頼らずに、前後の文脈も含めた文章だけで「驚いていること」や「疑問に思っていること」を表現できるようにトレーニングをしてください、と先生はおっしゃりました。それ以来、僕はある程度まとまった文章での地の文では「!」や「?」を一切使っていません。逆に、頭の良くない人向けに文章を描くときは、ふんだんにこれらの感嘆詞を使います。理由は、いくらきれいな文章を描いても、伝わらない人には、どうやったって伝わらないからです。だったらわかりやすい記号を駆使した方が安全だと。


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 9月に両方の講義が終わるのですが、特に学校側は就職先を熱心に探してくれるわけでもなく、みんなそれぞれの進路がどうなったのかはすこぶる不透明でした。まあそもそも今現在も仕事をしてる人がほとんどなので、学校での実習も「まあ、そういう勉強もしました」くらいで、転職などしない人が多かったのかもしれません。また、春や夏や正月と比べて、「夏の終わり」という位置づけの9月という季節は、何か新しいアクションを起こすのに適した時期でもない気がします。どちらかと言うと「年が明けたら……」という先延ばしの気持ちが強くなるような気すらします。ので、僕もその後、年が空けるまでは、完全無欠のニートとなり、毎日図書館で本を読むという生活に落ち着いてしまいました。


 ちなみに大学抹籍の僕の正式な最終学歴は、このバンタンJカレッジ(専門学校)になるのだと思います。