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僕が通った学校@マック・ミュージック・スクール(1999年)

note tokyo

 大学に行かなくなって、寝ても起きてもバンドをやってるような生活になっていました。ところがそれほど熱心に練習したり音楽聴いたりしてる方でもなかったし、何よりまったくの独学だったので、伸び悩みも感じていました。ので当時のヴォーカルに勧められて、スクールに行くことにしました。ちゃんとした先生に、良い面悪い面矯正してしてもらおうという狙いです。彼はそのとき「先行投資」という言葉を使いました。池袋のサンシャイン通りを歩いているときだったと思います。「スクールに通うにはお金がかかるけど、プロになったらそれくらいの学費分は簡単にペイできる。だから今、先行投資してきちんと実力つけておこうぜ」。だからか、今でも「先行投資」という言葉を聞くと、このときのやり取りを思い出します。


 どういう経緯でどうやって見つけたのかは、さっぱり思い出せませんが「マック・ミュージック・スクール」という専門学校に通うことにしました。半年分だったか、1年分の学費を前払いして、1週間に最大何時間(細かい数字は忘れました)までの予約を入れられます。もちろん、予定が合わなかったりめんどくさければ予約を入れなくても別段文句は言われません。個人の意欲の問題というやつです。というより、スクール側は前払いでお金をもらっているので、レッスンを入れようが入れまいがあまり関心はないのでしょう。


 場所は代々木の代々木ゼミナールの裏あたりにありました。週に1回か2回ほど、JR代々木駅を降りて、たくさんの受験生の横を楽器を担いで横切り、スクールまで行ったり来たりしていました。僕も代ゼミ系の予備校に通っていたので、彼らに対しては勝手に親近感のようなものを感じました。彼らの志望校はどこで、実力との差はどれくらいなのだろうか、そしてどんな未来を夢て見入るのだろうか、と。しかし、僕も予備校時代に朧気ながらにも抱いていた大学生というものとはかけ離れた生活をしている(そもそも東京に居ること自体が最大の想定外だ)ので、目の前にいる予備校生に対して、今の時期具体的な夢を持ったって無駄だよという覚めた気持ちもありましたが。


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 スクールでは、先生と生徒が入るともうすでに満員御礼といった小さなブースに入って、レッスンを受けました。ベースの先生は2人いて、生徒が好きな方を選んで予約を入れるというシステムです。最初にレッスンを受けた先生は、優しくおっとりした、どこにでもいるような兄ちゃんといった印象。2回くらいレッスンを受けて、「せっかくなので来週はもう1人の先生にも見てもらおうかと思います」と言って、先生をチェンジしました。もう1人の先生は、痩せてて前髪が長く、たいてい全身黒っぽい服を着ており、いかにも音楽やってますというロックっぽい風貌。そして必要以上にフレンドリーで、特に断りもせず、当たり前のように第一声から僕のことを「オオシマちゃん」と呼んできました。「とりあえずさ、オオシマちゃんの好きなベーシスト教えてよ」。


 この先生からは、技術面、知識面、精神面、どれをとっても指摘された直後から僕にアジャストし、吸収することができました。なぜそれを今まで放置してきたんだというくらい、いとも簡単にマイナス面の底上げがはかられたのです。


 その中でも「リズムの捉え方」が、一番変わった部分でしょう。リズムというものは、もちろん耳で聴いて身体で感じるものですが、僕の場合は楽譜に音符を書き込むように、必要な位置に手作業で音を嵌め込んでいくという捉え方をしました。伝統工芸の職人さんのように、自分の手で一つひとつ丹念に嵌め込む。この「嵌め込む」という感覚を持ってから、僕のベーシストとしてのレベルがひとつ上がったような気がします。そして実際に行った練習方法は、カード式のメトロノームを使って、一定のテンポに合わせ1時間くらいただひたすらにドレミファソラシドと音階の練習をするくらい。自分が納得できる解釈と超基本的な反復練習だけで、驚くくらいのレベル・アップに成功したのです。


 ここでは、教わって身についたこと以外はあまり覚えていません。どれくらいの期間通ったのか、学費はいくらだったのか、そしてそのお金はどうやって工面したのか。先生の名前だって覚えていないくらいだし、何人かの友だちもできましたが、「それは夢だ」と言われれば、そうかもしれないと納得してしまえるくらい存在感のないものです。もちろん、バンドを辞めた時点でここで身につけたことの重要性も薄れてしまったのですが、ほんの少しのきっかけやヒントで物事の捉え方を変えてみるだけで、自分の能力や視界ががらりと変わるということは、今でもいろんな局面でのヒントになると信じています。