僕が通った学校@早稲田大学(1997~2001年)

 朝起きても、まったく何の縛りがないという生活がはじまりました。


 一応学校には行ってみるものの特に友だちもいないので、1人でキャンパスを歩いて、講義に出て、先生の話を聞くも何の手応えもなく90分が過ぎ、教室を出るという毎日を繰り返していました。「いつも前の席に座ってるけど、この講義おもしろい?」とか「こないだフクちゃんで、チョコトン食べてたよね」などと、ドラマのように誰かが声をかけてくるわけでもなし、誰とも口をきくことなく、本当に淡々と毎日が過ぎ去っていくのです。でも別段1人でいることに寂しさや閉塞感を感じることはありませんでした。むしろ1人で居られる自由さが心地よく、とにかく時間がある限りキャンパスの中をうろうろと歩きまわりました。何度も言うように、若い僕にとって、「時間」だけは無限にあるものだと信じて疑わなかったのです。


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 僕は16号館という建物がメインの学部で、このエリアは嫌いな野菜を皿の縁に追い退けるかのように、キャンパスの中でも端っこに位置していました。ので、正門を使うこともなく、西門という地味で小さくひっそりとした出入り口を利用していました。真冬の受験のときは、通路も狭く、やせ細って死んでしまったような樹木が並び、とても薄暗く、葬式会場にでも向かう通路のようで、辛気臭いところだなと思っていましたが、春から夏にかけては、生き生きとした緑が生い茂りほどよい木陰が生まれ、ベンチに腰を下ろして文庫本を読んだり、パンを頬張る学生の姿が見受けられるようになりました。だから僕もそれを真似て、購買で100円の頭脳パンと適当な紙パックのジュースを買って、ベンチに座って食べていた記憶があります。ただそれだけで大学生というものを謳歌できている気がしました。


 また、この辺鄙なところにある16号館から、キャンパスの中心部に向かって歩いて行くと、ある地点でパッと視界が開ける場所があり、その光景が僕は大好きでした。ちょうど7号館と11号館の間を抜けた所です。大隈銅像の背中越しに大隈講堂が見える場所があるのです。記念受験気分ではじめてこの大学に来てこの光景を目にしたときは、身体が自然と震えたと同時に、「何かすごいところに来てしまったな」と申し訳ない気分になってしまいました。今受験でここにいるほとんどの人が、これからの3教科の試験に「人生を賭けている」といっても過言ではありません。ところが、僕はと言えば、カバンの中には試験後に遊びに行く渋谷とか原宿のガイドブックくらいしか入れてないくらいのいい加減さです。しかし、あの銅像と講堂の絵を見て、心のどこかで「受かったらいいな」と思ったことも覚えています。それくらい気持ちを引き締める衝撃がありました。その後、大学を辞めてからも、たまにふらっと立ち寄ることがありましたが(ミニコミをつくる仕事のときの話)、わざわざ西門からキャンパスに入り、7号館と11号館の間を抜け、大隈銅像越しに講堂を眺めてみたものでした。


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 しかし、徐々にこれって何をしているのだろうか、という疑問符が生まれてきました。浪人して受験勉強をしてたときの方が、毎日の充実感は数倍感じられたと。とはいえ、前期のテストまでは、ごく普通に授業に出席し、ときは寝坊などもしましたが、まあ人並み以上には授業に顔を出していたと思います。


 そしてテストが近づくと、近所のコンビニなどでみんな必死に誰かのノートをコピーしてるわけです。僕はノートを借りるような友だちもいないし、どうもそういうやりかたを卑怯だなと思って見ていました。いや、俺はちゃんと実力でテスト受けるよと。しかし、高校までの授業とは毛色のまったく違う大学の講義では、それなりに出席していただけでは試験で良い点も取れません。僕はテストと言えばマークシートとか簡単な英作文みたいなものをイメージしていたのですが、大学の試験は「感想を述べよ」みたいな、非常にざっくりしたものが多く、これらの設問にどう向き合って良いかがさっぱりわかりませんでした。そしてその時点で、僕の中では「大学はもういいや」と、気持ちが切れてしまいました。このまま講義に出てても何も得られないなと、勝手に見切ってしまったのです。


 周知の通り、大学なんてものは効率良く試験をパスすればそれで良いわけです。テストのための虎の巻みたいなものをどっかから手に入れ、それで最低限の単位を取得し、そしてあとは自分の好きなように遊んで思い出をつくっておくための4年間と言っても良いでしょう。それが何だったのかなんて、もう少し大人になったら自然とわかるのです。しかし、当時の僕は、そういった柔軟な考え方ができず、こそこそ他人のノートで単位をもらうような奴に負けるくらいなら、もう学校なんて行く必要はないという結論に至りました。


 僕はこのドロップ・アウトと引き換えに学んだものは、「肝心なのは要領だ」ということ。プロセスなんてどうだって良い、最短距離でゴールにたどり着く要領。


 僕にとってもキャンパス・ライフは、かのような結論に至り、幕をおろしたのでありました。


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