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僕が通った学校@早稲田大学(1997~2001年)の前の話

 まず、僕がなぜ早稲田などという東京の大学を受験したかを説明します。少し前にも書きましたが、そもそもは是が非でも京都に進学したかったのです。東京など頼まれたって行きたいとは思えなかったし、興味も関心も憧憬もへったくれも何もありませんでした。もう少し正直に言えば、田舎者として東京に進学するのは恐かった部分もあったでしょう。


 まず浪人が決まって予備校を選ぶことになりました。当時金沢には主に2つの予備校があり、そのどちらかに通うかを決めるわけです。代々木ゼミナール系列の学校か、河合塾系列の学校か。別に僕はどっちだって構わなかったのですが、どっちだって良かったからこそ迷いました。


 ところで、当時地元で人気のある、僕より学年が1つ上のバンドがあり、そこにクワバラさんというクールなギタリストがいました。僕はそのバンドのファンだったし、ベースの人とも仲が良かったのですが、かねてよりクワバラさんにはカッコイイなという憧れを持っていたのです。そのクワバラさんも受験に失敗して浪人していたと聞いていたので、友人に「そういえばクワバラさんはどこの予備校に行っていたのか?」と訊いてみると、代ゼミ系の予備校に通っていたという。なので僕も代ゼミ系列の予備校に入校することにしました。そして、予備校に入校届けを持って行くと、ありとあらゆる壁に合格者の名前が書きめぐらされており(どこの進学塾でも見られる光景です)、実際にクワバラさんの名前も見つけることができました。「早稲田大学第一文学部合格クワバラタロウ」「早稲田大学第二文学部合格クワバラタロウ」「早稲田大学社会科学部合格クワバラタロウ」。まず、あのクワバラさんが早稲田に合格していることに驚きました。おせじにもクワバラさん通っていた高校は早稲田に合格者を出すような学校ではなかったからです。そして他にはどこを受験したのか、あとから先生に訊いてみたら、彼は早稲田の一文(第一文学部)を本命として、二文と社学を滑り止めにした3つか受験しなかったよ、とか。あまりよくわからない学校に受かっても進学しないだろうし、受験料も無駄だから早稲田しか受けなかったそうです。こいつはクールだと鳥肌が立ちました。1996年の春です。


 そして、予備校の入校式(そんなものがあったのです)が、南町の大きなホールで開かれ、卒業生代表みたいな形でクワバラさんが壇上で話をすることになっていました。その日は別のもう1人も話をすることになっており、びしっとスーツを着て、模範的な格好で、優等生的な挨拶をして、熱いエールを送ってくれました。次にクワバラさんが話をする番なのですが、地味な茶色いジャージ上下にロン毛という絵に描いたようなような浪人生的な格好(もう大学に受かってるのですが)でしれっと現れ、もそもそと手元の原稿を読み上げて、適当なところで「じゃ、がんばってください」と締めくくって去っていきました。クール。そして、式が終わって、外で友達を話しをしていたら、クワバラさんがママチャリに乗ってすーっと僕の横を通り過ぎて、コンビニにでも行くような気の抜けた表情で帰って行くのです。この人はどこまでクールなんだと(言い方を変えれば、着飾らないマイペースなのでしょうけど)。そして僕はクワバラさんになろうと固く決意したのです。


 だから僕は浪人の1年間、周囲になにを言われようと髪を伸ばし続けました。そして同志社を本命とし、現役時代に落ちた立命館を滑り止めとした2校だけの受験と決めました。他には受けないと。しかし、それなりに学力がついた冬頃に、一丁クワバラさんに挑戦してみたくなりました。それで早稲田を受験したまでなのです。本当はクワバラさんと同じ一文を受けたかったのですが(二文、社学は夜間なので除外)、一文は小論文の試験があり、正解が曖昧な論文など勉強したくなかったので、早稲田の中でも楽勝といわれる教育学部に目をつけ願書を提出しました。「格好」だけで充分だったわけです。


 ――そして、というか、しかし、3月、上京。


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 予備校の入校式以来、クワバラさんとは逢っていません。早稲田でも一文と教育はキャンパスが違ったので見かけることもなければ、クワバラさんを知っているという人にも出逢いませんでした。


 あの1年、僕はクワバラタロウになることしか考えていませんでした。そして、クワバラさんがいなければ僕は間違いなく予定通りに京都に進学していたでしょう。今思い返すと、クワバラさんに憧れたことが、僕の運命の切り替えポイントのひとつだった気がしています。