村上春樹著『1Q84』(文庫)を読んで

 作家というものは、そのプライベートや興味、関心をあまり表に出し過ぎない方が良いのではないかな、と思いながら読み進めていました。


 ――2009年、主だったあらすじも舞台背景も、そのほとんどが包み隠された状態で発表された村上春樹、待望の新作『1Q84』。しかし、書店に山積みにされたこの奇妙なタイトルの本を手にしたほとんどの人間が、そこに印刷された活字を読み進めるうちに、オウムという宗教組織や『海辺のカフカ』以降に精力的に行われた作者の翻訳活動が、この物語の下敷きになっていることを強く感じてたに違いないでしょう。


 もちろん、作品の根底部分を感じとったって問題ないのですが、よりによってクセのある「オウム」がモデルとなっていることがやっかいなわけです。というのも、少なくとも僕の場合、物語の中に登場する「さきがけ」と現実世界の「オウム」が完全にシンクロナイズしてしまうのです。だから、どうしても「さきがけ」は「オウム」と同じように絶対悪でなければならないという読み進め方になってしまい、頭の中で「さきがけとは、そのリーダーとは、こうであるべき」と、勝手なストーリーを先回りしてつくってしまうのです。作者自身が、オウムに関する丹念な取材とインタビュー集を発表し、この負の出来事に対しての静かな怒りを持っているということをよく知っているから。だから、当然小説の中で登場する宗教組織だって、悪でなければいけないという見方をしてしまうわけです。この物語全体の核に近い部分を、どうしても色眼鏡で見てしまい、純粋に物語の中に入り込めませんでした。
※実際に「さきがけ」のモデルとなっているのは、オウムではなく「ヤマギシ会」という団体だそうです。しかし一般的な見方としてはどうしてもオウム色の方が強いでしょう。まず、「ヤマギシ会」なんてものを知ってる人なんてほとんどいないでしょうし「オウム」と関連づけて読んでしまいます。


 そういうこともあって、単行本を読んだ時点でもそうでしたが、僕の中では、どうも手応えのない作品と言わざるを得ませんでした。もちろん僕の読解力の偏屈さのせいといえばそれまでなのですが。


 作家というものは、J.D.サリンジャーのように(村上春樹もかつてはそうだったように)、一切その姿を表さず、小説以外にその思考や主張を漏らさないほうが、純粋に物語を楽しんでもらえるのではないかなと感じてしまいました。僕はどうやら村上春樹という小説家のことを知りすぎてしまったようです。だから、「村上春樹」という小説家、人間を知らない人の方が、この物語を純粋に楽しめたような気がします。


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◆村上春樹の最新長編小説『1Q84』|新潮社


【内容情報】(「BOOK」データベースより)
1Q84年ー私はこの新しい世界をそのように呼ぶことにしよう。青豆はそう決めた。Qはquestion markのQだ。疑問を背負ったもの。彼女は歩きながら一人で肯いた。好もうが好むまいが、私は今この「1Q84年」に身を置いている。私の知っていた1984年はもうどこにも存在しない。…ヤナーチェックの『シンフォニエッタ』に導かれて、主人公・青豆と天吾の不思議な物語がはじまる。

【著者情報】(「BOOK」データベースより)
村上春樹(ムラカミハルキ)
1949(昭和24)年、京都市生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。’79年『風の歌を聴け』(群像新人文学賞)でデビュー。主な長編小説に、『羊をめぐる冒険』(野間文芸新人賞)、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』(谷崎潤一郎賞)、『ノルウェイの森』、『国境の南、太陽の西』、『ねじまき鳥クロニクル』(読売文学賞)、『海辺のカフカ』、『アフターダーク』、『1Q84』(毎日出版文化賞)がある。『神の子どもたちはみな踊る』、『東京奇譚集』などの短編小説集、エッセイ集、紀行文、翻訳書など著書多数(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)