僕が働いた場所@ウェブ制作会社2(2005~2008年)

 沖縄の話。


 社員旅行で沖縄に行くことになった。2006年11月勤労感謝の日前後を利用した2泊3日の旅行。


 この沖縄旅行は、僕の中でとても大きな印象を植え付けている。前後含め、そこで行われた1つひとつの情景や、そのとき考えていたこと感じたことは、ブルーレイ・ディスクに録画したドキュメンタリー映画のように鮮明に目の前に蘇らせることができる。今でもまったく色褪せていない。当時、この旅行のことをずらずらっとブログに書いており、自分で言うのもなんだが今より文章が上手いんじゃないかと思えるくらいしっかり書き残せている気がする。それくらい感性も研ぎ澄まされていたんだろう。もとよりこの頃は、日常と非日常がはっきり分かれており、とてもメリハリの利いた生活ができていた。特筆すべき事柄とそうでないルーティンがしっかり分別されていたのだ。


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 僕がこの沖縄旅行で得たもののひとつは、自分と戦争というものとの距離感だ。沖縄は日本でもっとも戦争の傷痕が深く、悲惨な戦場となった土地のひとつである。


 僕らの祖父、祖母は戦争を体験している。そういう意味では、間接的にではあるが僕ら世代も戦争を伝え聞いている世代と言っても良い。小学校の夏休みの宿題には、必ずといっていいほど戦争にまつわるお話があった(次のお話を読んで感想文を書こうみたいなやつだ)。こんな悲惨なことがありました。もう二度と繰り返さないようにしましょう、と。広島の原爆の、そのほとんどが茶褐色の写真やイラストが載っている物語。1年生や2年生のときは、ばあちゃんにその手の話を読んでもらっていた。ばあちゃんは、決まって戦争の話を読むと泣いてしまっていた。虫カゴに入れられた蝉の鳴き声や、プールの塩素の匂いと同等に(もしくはそれより鮮明に)戦争の話で泣いているばあちゃんの姿を思い出すことができる。しかし僕には、どうして戦争の話を読んだだけで泣くのか意味がわからなかった。戦争なんて、宿題の中のお話でしかなかった。


 この旅行から帰ってきて、沖縄のことを少し調べてみると、太平洋戦争の影が色濃く残っている土地だということがわかった。そして、ばあちゃんとの夏休みの思い出が蘇った。もっと僕は戦争のことを知っておくべきなのではないかと強く感じたのだ。僕らよりもいくつか下の世代になると、家族や身のまわりから戦争体験者というものが消え、完全に太平洋戦争は教科書の中での、テストに出るがために覚える項目となってしまうことは間違いがない。どんなに日本が高齢化社会になったとしてもこればかりは避けられない。僕らはその前に、何かできるのではないか、すべきことがあるのではないかと。実際には何もできていないのだが、そう考える時間というのは増えてきたのが事実だ。


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 社員旅行だけでなく、いろんな土地や場所を訪れる機会があった。そこで発見したことや吸収したことは今までのどの職場よりも多く、濃いものだったと思う。


 この職場に関してはまたあとで書く。僕のなかでのカテゴリー分けでは、「職場」ではなく別の位置づけがあるからだ。


◆沖縄について - Not Found
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