僕が働いた場所@ウェブ制作会社1(2005~2008年)

 東京での最後の職場である。3年勤めて、辞めて金沢に帰ってきた。27歳にしてはじめて正社員として雇用された会社でもある。


 大学の知人が会社を立ち上げ、人を募集しているということで入社した。社長含め4人目のスタッフだった。つまりは社長を除けば3人目のスタッフということでもある。ということで、「会社」というもの建てつけを間近で見たり感じたりすることができたことは大きな財産だ。mixiが爆発的人気を博す直前、iMac G5が発売され、堀江貴文が時代の寵児として脚光を浴びていた2005年、ITの制作会社に転職したわけである。


 前職で「部屋が汚い」ということで社長とケンカし嫌気がさした丁度そのときにお誘いがあったので、何も躊躇することなく転職した。このときは「急遽田舎に帰ることになりました」と嘘をついて辞めたのだが、その先の会社でも結局は同じ理由で退社することになる。違うのは嘘か本当かというただ一点だけだ。


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 最初は渋谷にオフィスがあった。まあ渋谷といっても「新南口」が最寄りだったので、若者の気配などなく、少し落ち着いたオフィス街の中のビルの1フロアの一角を、別会社から間借りする形のオフィスだ。メインのフロアでは常時40~50人くらいの若い男女がパソコンに向かって一心不乱にキーボードを叩いており、傍から見てると、何か重要な情報を立派な組織とやり取りしているように思えた。しかしあとで聞いたところによると、彼らは出会い系サイトのサクラ部隊なのだそうだ。パソコンに向かって熱心にキーボードをうっていれば、何をしていてもそれらしく見える。NASAで働くオペレーターも、渋谷でアルバイトをする出会い系のサクラも、見分けることが難しいくらいに。


 しかし彼らもサクラをすることで、一時的にでも誰かに「夢」を与えていると考えると、それなりに価値のある仕事だと言えるのかもしれない。世の中にはいろんな形の幸せと、嘘と、お金の行き来がある。それを横目に僕らは片隅に分け与えられた小部屋に入って、ホームページの作成の仕事をこなす。群雄割拠、インターネットならなんでもアリの時代と言えただろう。


 出社は10時と前職と同じだったが、帰りはほぼ毎日24時近くの終電となった。すると平日にプレステで遊んだり、音楽を聴いたり、素振りをしたりという自分の自由な時間が一切なくなり、1日なり1週間の生活のリズムも完全に狂ってしまった(読書だけは電車の中で時間を確保することが出来た)。このサイクルに身体がびっくりしたのか、すぐに体調を崩したくらいだ。それでも職場には似た様な年齢の人間ばかりだったので、(良いのか悪いのかはさておき)サークルのようなノリで、深夜まで会社に残っていても精神的な苦痛はなかったし、会社に泊まることがあっても合宿のような気分で朝まで仕事ができた。すぐにこの長時間拘束にも慣れてしまったのだ。


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 やがて間借り部屋も狭くなったので、半年くらいでオフィスは茅場町に引越しした。今度は一転、小金持ちが住むようなお洒落なメゾネット・タイプのデザイナーズ・マンションがオフィスとなる。マンションの出入りにはカード・キーが必要で、エレベーターもそのカードに登録されているフロアにしか止まらない仕組みだった。品の良いホテルのようだ。部屋の中は全面、北欧のロッジを思わせるような暖かみのある木目が印象的な内装。一方で壁のコンクリートは打ちっぱなしで、アーバンな雰囲気も感じられる空間である。もちろん風呂もあり、徹夜したときは代わりばんこに入浴したりシャワーを浴びたりした。応接室にはどでかいTVを置き、勢いでWiiを設置し、スタッフ全員のMiiを登録してはゲームで遊んだり、否、リフレッシュしたりしていた。テレビや雑誌が取り上げたくなるようなオフィスだった(事実、テレビにも雑誌にもちょくちょく取り上げられていた)。来るべき時代を創造する、若く可能性に満ちたウェブ会社、みたいな。


 インターネットの仕事だったので、今でもネットを繋げば、このときの同僚のほとんどの近況がリアルタイムで目の前に飛び込んでくる。今の同僚よりも近くに存在感を感じる連中かもしれない。目の前にいる人間よりも、ネット上で存在を確認できる方が身近に感じるというのもおかしな話だが。