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僕が働いた場所@編集プロダクション1(2003~2005年)

note tokyo

 2001年初夏、バンドを辞めてまじめに働くと言ってみたものの、アルバイトという身分のまま1年弱営業の仕事をし、翌年の3月末で辞め、専門学校に半年通ったものの卒業後に職探しもせずニートでいたのだが、いい加減働こうということで、年が明けてからやっとこさ就職活動をすることにした。2003年の1月になっていた。


 就職活動といえど限りなくネット・サーフィンに近い活動で、あげく聞いたこともないような求人サイトで見つけた職場に応募してみた。どうしてこの会社にしたのか覚えていないが、おそらく「編集」という文字があったからだと思う。


 その会社は、ボロくて今にもつぶれそうなアパートの一室にあった。本当にここで良いのか、と何度もドアの前で確認し、恐る恐る呼び鈴を押した。押したというより、押してみたという方が的確かもしれない。そしてドアを開けるやいなや、猫が4~5匹駆け寄ってきてにゃあにゃあ鳴くわけである。まったくけったいな会社である。そこでどんな面接をしたか皆目覚えていないが、部屋の中は、今さっきこの部屋で台風が発生したかのように散らかっており、そこに男女の2人の人間と10匹ほどの猫がいたことだけははっきり覚えている。


 どうやら社員は夫婦2人だけで、アパートの6畳間ほどの一室を借り、そこを事務所として仕事をしているらしい。そして足元にいる猫は、基本ノラ猫なのであるが、エサをやっているので住み着いてしまい、つい最近子どもが産まれ計16匹いるのだとか。従業員の8倍の猫がいる中で仕事をしているわけである。そして決定的なのが、夫婦2人とも片付けれない性格で、本当に部屋が汚かった。泥棒が入ってきても、むしろ気を使って整理していくんじゃないかというくらい散らかっていた。そしてこの部屋にはゴミ箱というものが存在しなかった。部屋を片付けられない人の部屋には、ゴミ箱というものがなかったり、あってもその存在感は小さいという僕なりの一つの哲学がある。不要なものを不要と判別できないので、ゴミ箱がない、そして散らかっていくというロジックだ。


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 初出勤の日、もう1人僕と似た様な年齢の男の子も出勤してきた。今日から2人、新しく働いてもらいますみたいに。しかしいきなり「ちょっとスイマセン」といって、「きのうバイクで転んで頭を打って、まだ痛むんで病院行っていいっすか?」と言って、そのまま帰って行ってしまった。で、お昼ごろに電話がかかってきて、「入院することになったので、もう会社に行けません」とのこと。僕は、うまいこと言って逃げやがったなと思った。


 事実僕もこんな汚なくて散らかってるボロアパートの片隅で仕事なんてできるのだろうか、そもそもちゃんと給料が出るのだろうかと不安だったし、生理的にも衛生的にも受けつけ難かった。世にも奇妙な物語の舞台にでもなりそうな不気味な空間だったのだ。これはとんでもない貧乏クジなのではないかと、面接が終わってからずっと思ってたことなのだが、適当な断りの理由が見つからなかっただけの話だ。


 社長夫婦は別に家があるのだが、旦那の方はほとんど事務所に住み込んでいたので、日中部屋をどれだけ片付けても、次の日にはさらに一段階汚い状態にレベル・アップしていた。朝出勤したら僕の席に食べ終えたヨーグルトの容器が置いてあったり(その辺に置いたことを忘れちゃったのだろう)、食べかけのバナナやきのうの夜くらいに脱いだであろう靴下が見受けられることがよくあった。朝の第一の仕事は、パソコンの電源を入れるよりも、これらの余分なものを処理することがルーティンだった(特に週明け月曜日はひどかった)。もちろん本人たちは、そういったものがスタッフの座席付近に放置されていることすら気づいていないわけだ。そして、その僕の座席というのも、トイレの真ん前で、トイレの扉を全部開くと僕にぶつかるような近距離に位置していた(狭い部屋な上に散らかっているので、こういうポジショニングになっている)。いろいろ気まずい。また出勤時のソックスは必ず短いものを履いていかねばならなかった。というのは、ノミかダニかが活発に活動しているらしく、長いソックスを履くと繊維の中にそれらの害虫が入り込んで滞在してしまい、脛やフクラハが痒くなってしょうがないのだ。


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 その会社は、西武池袋線の「大泉学園」というところにあった。国分寺からは、西武国分寺線に乗り所沢まで行き、池袋線に乗り換える。なかなかマニアックな通勤路だ。行き帰りとも、電車はたいてい空いてた。都電に乗って学校に行っていた頃を彷彿とさせる。僕は最後まで契約社員という身分だった。社員にはならなかった。どうやっても、ここで一生働くという気にはなれなかったからだ。やがて事務の女の子が入社し、その他何人かの人間も出たり入ったりしたが、基本的な汚さにブレはなかった。


 しかし、少し前に書いた通り、ミニコミの作成を通じて、それなりの経験値は積んだ。ちなみに、この頃のホームページやサイトといえば、まだまだhtmlでタグを書いてftpでファイルをアップロードしていた時代だったが、いやいや、これからはブログというものが流行ると教えてもらったのはこの職場だった。2003年10月。落合新監督が来季からユニフォームを変えると発表し、ファイターズが北海道への移転を決定した秋のことだ。News-Handlerという恐ろしくマニアックなサービスでブログを開設して、それが今まで続いている。


◆ミニコミ紙、語るべき言葉、ハッピー・ワード - Not Found