僕が働いた場所@ハンバーガー・ショップ1(1997~1998年)

 東京に出てはじめて働いたのが、家の近くの商店街にあったハンバーガー・ショップだった(もちろんアルバイトだが)。引っ越してきたその日のうちに発見して、その次の日に面接に行って、そのまた次の日から働いていた記憶がある。どうせ入学式まで何もないし、バイトでもしてお金を稼ごうと。何をするにも「また明日」がモットーである僕にしてはどう考えてもアクティブな発想と行動である。おそらく東京での一人暮らしという状況がそうさせたのだろう。環境が人を変えるとかいうやつだ。


 僕は夜の22時もしくは早くても20時くらいからの出勤で、深夜24時の閉店後の後片付けまでの勤務だった。ので、蜂の巣をつついたような昼の混雑時には1度も立ち会ったことがなく、かなり楽なシフトを任されていたことになる。


 いまだ昭和の空気が漂う商店街の一角にあるお店で、かつ年配の方が多い地域でもあったため(年配の方が多いから昭和風な商店街だったのかもしれない)、夜の客などほとんどいなかった。そしてお店の外装、内装もクリーンでフレッシュな印象はほとんどなく、それは授業参観日に自分のお母さんだけが他人のお母さんより年取り臭く感じたときの気恥ずかしさがあるような、一歩時代遅れのするお店だった。


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 多くの学生アルバイターがそうであるように、当時の僕も売上に関することはまったくノータッチだった。あげく、お客様に喜んでもらうとか、いいお店にしようなんてことは露ほども考えておらず、サボることやいかに楽するかということが、なによも優先順位の高いところにあった。適当に働いて、その時給分のお金をもらうことにだけ意味を感じていたわけだ。サッカー日本代表がフランス・ワールドカップ出場を決めた試合は、シャッターを閉めた後、このお店の有線ラジオで聞いた覚えがある。とはいえ、24時からの後片付けは、その後どれだけ時間がかかろうが1時間分の時給しか出ないことになっていたため、これだけはまじめに取り組んでいた。


 まずは、パティを焼いている鉄板をこすって肉の破片や油の汚れを削り落とすという作業がある。もちろん、いくら力を入れてこすっても、どれだけ時間をかけて磨いても、ある一定以上はきれいにならない。飲食店の鉄板なんて、日々汚れていく運命にあるのだ。僕らが毎夜毎夜、鉄板の掃除をしているのは、いつかは決定的に汚れきってしまって、捨てられてしまったり取り替えられてしまうという寿命をほんの少しだけ先伸ばしにしていく作業にすぎない。しかし、鉄板は使い込まれれば使い込まれるほどが出てくる。新品のピッカピカの鉄板なんかよりも、ずっと美味しいパティを焼きあげてくれそうに見えてくる。角に挟まって取れない黒い塊や縁にこびりついた油の塊があっても、それらがあるが故にうまいことやってくれそうな風格が出てくるのだ。人間とハンバーガーショップの鉄板は、似てるなと僕は思った。


 シェイクをつくるシェイカーの中も、専用の薬品を入れて、機械の中の見えないところに残っているバニラ・アイスをきれいに洗い流す。こんな風に人間の身体の中も洗浄できたら気持ちいいだろうなと思いながら、ホースで水を注ぎ込んでいた。ハンバーガー・ショップの後片付けには、様々な哲学が詰まっている。


 バイトに入りたての頃は、店長と一緒に後片付けをして、その後、JR駒込駅の高架下かどこかにある立ち食いソバ屋さんみたいな所に行って、ソバやうどんを奢ってもらったことが何度かある。間違いなく、東京のどこにでもあるような適当なお店なのだろうが、すこぶる美味しかった思い出がある。味としてではなくシチュエーションとしての満足感だろう。こういうのが1人暮らしなのかな、大学生の生活なのかなと感じながら、満腹で自転車に乗り、深夜に自宅まで帰ったものだ。