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僕が住んでみた町@中野(2006~2008年)


 2006年、当時の僕の職場が茅場町で、さすがに国分寺から通うのは遠い(ドア・トゥ・ドアで2時間ほどだったかと)ということで引っ越すことにしました。空いていた1部屋に住んでいた同居人が出ていったこともあったし、さすがに国分寺には充分長く住んでいたので、「もういいだろう」みたいな空気があったような気もします。リセット・ボタンを押すような感覚での引越しでした、僕のなかでは。


 中野にした理由は、東西線の始発だからということだっと思います(始発だと、出勤の際、座席に座れる可能性が高い)。ここでも妹と2人で中野の不動産屋さんをまわって、確か雨の日とかパッとしない日に決めたような気がします。そのせいか、この部屋は本当にじめじめした所でした。住宅地のど真ん中、裏路地の一角にある103号室で、日当たりが悪く、風通しもなく洗濯物がまったく乾かなくなりました。ゴキブリもしょっちゅう出現しました。そして冬になるとシベリアの端っこのように寒くなりました。開放的な国分寺との落差があったのだと思いますが、今思い返すと、空気が停滞し、澱んでいるような場所でした。玄関を入ると左手にキッチン、右手にはトイレがあり、キッチンの前にある部屋が僕のものになり、トイレの前のタタミの部屋が妹となりました。しかしどういうわけかこの家の間取りがイマイチ曖昧です。風呂があった場所をはっきり思い出せません。一番最近住んでいた家なのに、一部がどうもぼやけています。不思議なことです。色でいうなら、暗い茶色と深い緑が混ざり合ったようなイメージです。別に厭なことしかなかったわけではありませんが、色に例えるなら、こんな色がぴったりきます。


 中野には約2年住みました。そして2008年の2月だか3月くらいに、妹が結婚するので出ていくと言い出しました。というか、「私は出て行くけど、家賃はどうしようか?」といった相談だったと思います。そのとき、僕も結婚するために金沢に帰るんだろうなと思っていたこともあり、「俺も近く金沢に帰ろうと思っていたから、ちょうどいい。4月からの家賃は適当に払っとく」と返答して、僕も東京を離れることを決心し、このときから具体的に動きはじめました。その後、半年間、また1人暮らしに戻り、9月にアパートを解約し、金沢に帰って来ました。それは今思い返すと、兄妹ともに学生で自由だった国分寺から、2人ともそれなりに歳をとり社会人になって中野に引っ越してきたときに、ある程度決められていた道筋だったような気もします。中野が僕らにとっての東京の行き止まりであったと。そもそも、中野への引越しの予定日に父親が亡くなり、引越しをキャンセルし延期した経緯もあります(直前だったのでキャンセル料全額取られた)。中野という場所は、僕ら兄妹にとって次のステップ(別々の舞台)に行くための、最後のモラトリアムだったわけです。


 この家の近所には数匹のノラ猫がたむろしており、去年、用事で東京に行って中野に立ち寄ってみたとき、見覚えのある茶色い猫が退屈そうに道端に寝転んでいました。僕を見て「ふん、お前まだ生きてたのか」とでも思っているように。でもそれは、どういうわけか僕をとても安心させました。この愛想の悪い猫が、僕が東京で、中野で暮らしていたことの確固たる象徴のように思えたからです。

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