僕が住んでみた町@国分寺(2000~2006年)


 理由はまったく思い出せませんが、妹と住むことにしました。僕が東京に出て2年後に妹も上京してきたのですが、そのときは一緒に住むことを強く反対しました。石神井での1人暮らしがおもしろくてしょうがなかったからでしょう。しかし、その考えもころっと変わり、一緒に住むことに決めたのです。


 考えられる理由としては、もうこの時期父親に病気が見つかっていたのかもしれません。兄妹で連絡がつきやすい環境にあった方が良いだろうということが一緒に住むことにした理由だと考えられますが、あまり覚えてません。少し調べればわかることだと思いますが、今さら理由は何だっていいような気がします。


 僕のバイト先である吉祥寺と妹が住んでいた立川の中間点ということで「国分寺」が候補に上がり、2人でいくつかの物件を見てまわりました。ピンとくるものがなく、僕はめんどくさくなった頃に、妹がどこかからこの物件を見つけてきたのです。「少し駅から遠いけど」ということで国分寺駅からは20分ほど歩きますが、とても広く明るい印象がありました。住所は小平市で、3LKのファミリー・タイプのマンションの207号室。家賃も126,000円ほどで、2人で割れば充分に安いなと。それに2階というのも僕にとって魅力的でした。これまでずっと1階暮らしだったので。そして最終的に決定打となったやりとりを覚えています。「このマンションに住んでるのはみんな家族だそうですが、僕らのように兄妹で住んでいる人はいますか?」と質問したら、不動産屋さんが「いませんね」と答えたので、よしじゃここにしようと決めました。誰もいないなら、うちらでやっちまおうと。手帳を見返すと、引越しは2000年11月11日と12日に行われたようです。


 僕はタタミの部屋が厭だったので8畳のタタミ部屋は妹の部屋にして、6畳のフローリングを自分の部屋、5畳ほどの部屋は物置にしました(のちにこの部屋には何人かの人間が住み着くようになる)。リビングは10畳ほどでしょうか、そこに共有PCであるMacintoshを配置しました。


 マンションの前後左右はがっと開けているので、恐ろしいほどに風通しが良く、洗濯物などすぐ乾きました。それは夏場もクーラーなどほとんど必要ないほどの風圧でした。そしてベランダも広く、野球をはじめてからはここで毎日のように素振りをしていました。引越し当初1~2回ゴキブリが出ましたが、通気口をがっちり塞いでからは2度とお目にかかりませんでした。とにかく最高級に住み心地が良かったことだけはっきり覚えています。この家には、クリアな無色透明な印象があります。


 このマンションに居たのは約6年。正に僕が東京に居た時間の半分以上をここで過ごしました。この間僕は大学を辞め、バンドを辞め、ホームページを開設し、専門学校に通い、日韓W杯で興奮し、ニート時期もあり、会社を3つ変わり、ジョギングをはじめ、草野球チームに入りました。東京に来て、いろんな物事を辞めたりはじめたりしましたが、すべてがこの国分寺時代に絡んでいます。僕が東京を思い出す上で、国分寺ほど僕の東京を凝縮している場所はないと思っています。