腕時計をしなくなっていたことについて

 小学生の頃から、僕は腕時計をするのが好きで、4年生か5年生くらいのときにわがままを言って腕時計を買ってもらった記憶があります。それ以後、ずっと腕時計は愛用してきました。つい1年ほど前まで。


 一番最近では、フォッシルというブランドの時計を利用していました。たしか最初に見つけたのは、国分寺駅のマルイです。これは自分好みだなと思ったのだが、どうも値段が高い。1万円だったか2万円だったか、それくらいなのだが、どうも高く感じ、「これください」と言えなかったのです。で、その日は諦めて帰ったのですが、次の日にまたマルイに行って悩んでいた記憶があります。似たようなことはその後も何度かありました。それなりにお気に入りのブランドだけど、そこまでお金もかけられないみたいな、一途なのかケチなのかわからないスタンスですが、好んでフォッシルをコレクションし続けました。


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 で、そんなこんなで今の会社に入り、日々一流と呼ばれる時計、世界的にも価値のある時計を目の前に仕事をするようになりました。値段は中古であっても10万円じゃ安い部類。あげく、購入後もオーバーホールといって、何年かごとにメンテが必要で、そこでも1~2万の費用がかかるわけです。ロレックスとか名前は知っていたけど、こんなにお金のかかるものなのかよと驚いたことを覚えています。そして、こんな高級時計にかこまれていると、大のお気に入りにも関わらず1万程度の時計の購入をためらってしまっていた自分が本当にみずぼらしく思えてきたのです。また、たとえば仕事中に「3万円の時計の売上」というものに対しても、幾分がっかりしてしまう自分もできあがっていました。つまり時計というものは、どんなに少なくとも10万円くらいするものという価値観が身についてしまっていたのです。そして気づいた頃には、もう腕時計はしないという自分ができあがっていました。というか、適当な時計などできなくなってしまってました。もちろん、すべての尺度がお金じゃないことくらいはわかっていますが、それでも次元が違うなと。


 そもそも、指輪やネックレスといった装飾品も嫌いで、そう考えるとどうして腕時計だけはしっかりしてたのか疑問なのですが、もう今となっては、一切の装飾品はしないという性分になっています。ある意味さっぱりしたのはないかと。


 ちなみに僕がいつか本当にお金に余裕ができたら欲しいなと思える時計は、ロレックスの「ミルガウスというモデルです。だいたい中古で50~60万くらいでしょうか。誰かプレゼントしてください。


◆ロレックス ミルガウス