レイモンド・チャンドラー著『ロング・グッドバイ』を読んで

 村上春樹氏が絶賛する物語なので、随分前に一度読んでいました(清水俊二訳)。そのときは、ああ、確かに村上春樹の文体に似てるな、影響受けたんだな、という印象が強かったです。イチローのバッティング・フォームに川崎宗則のそれが似ていると感じるように。でも、じゃあ文体が似ているというのが、具体的にどういうことなのかというカラクリまでは考えなかったのですが、この村上春樹訳の「あとがき」に描かれていたように、心理描写ではなく、情景描写に徹するということが、大きな要因のひとつだと気づきました。これがチャンドラー&春樹に共通する文体のキーワードなのだと。


 普通、文章を描くとき、「自分はこう思った」という所感や意見、考えを中心に据えることが圧倒的に多いような気がします。もちろん僕もそうです。でも、こういった個人のささやかな意見なんかよりも、とある物事やとある場面に潜む普遍的な情景や“空気”を捕まえて描き出す方が、それを読む他人から絶対的な共感を得られるのです。いろんな価値観を持つ他人が、自分の都合の良い解釈ができる余白を残しておくわけですから。なるほどな、と思いました。


 実際に、僕が食べ物のレビューを描くときは、ほとんどが自分の感想を描いてしまってます。結果、行き詰まることが多くあります。当たり前の話ですが、僕個人が持つ感想というのが、どうしても似た様な切り口、似た様な表現になってしまうわけで「さっぱりしてて美味しい」「ゆったりと落ち着いて食事ができます」みたいな言葉に頼らざるを得なくなるわけですから。


 文章を描くときは、物事のどの部分にフォーカスするかという「目のつけどころ」「切り口」によって、まったく違うものになるのことが、今さらながらわかってきたような気がします。だから、食べ物のレビューであれば、料理の味なのかビジュアルなのか、はたまたお店の雰囲気なのかスタッフの対応なのか、また自分の感想なのか、値段なのか……、何だっていいから自分なりに「何を描写するか」という部分をがっしり決めることで、文章がぐんと描きやすくなって、幅も広がるのかなと思いました。もちろん、小説とレビューという違いはありますが、どんな文章でも同じことでしょう。


 少なくとも、このブログでの本のレビューに対する僕の切り口は、本を読んだ感想ではなく、本を読んで、結果僕が思いついた個人的な「何か」を描くようにしています。そのほうが描く世界が広がるからです(それがおもしろいかどうかは別として)。あらすじや解釈は他のサイトで、僕なんかよりもよっぽど上手にまとめてあるので、それらに倣う必要はないかなと。誰かの模倣をするのは、とても大事なことですが、自分なりのスタンス(切り口の軸)を決めることも大切だなと、この文庫の「あとがき」から気づかせてもらいました。


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価格:2,000円(税込、送料別)

【内容情報】(「BOOK」データベースより)
私立探偵フィリップ・マーロウは、億万長者の娘シルヴィアの夫テリー・レノックスと知り合う。あり余る富に囲まれていながら、男はどこか暗い蔭を宿していた。何度か会って杯を重ねるうち、互いに友情を覚えはじめた二人。しかし、やがてレノックスは妻殺しの容疑をかけられ自殺を遂げてしまう。が、その裏には哀しくも奥深い真相が隠されていた…大都会の孤独と死、愛と友情を謳いあげた永遠の名作が、村上春樹の翻訳により鮮やかに甦る。アメリカ探偵作家クラブ(MWA)賞最優秀長篇賞受賞作。

【著者情報】(「BOOK」データベースより)
チャンドラー,レイモンド(Chandler,Raymond)
1888年シカゴ生まれ。7歳のころ両親が離婚し、母についてイギリスへと渡る。名門ダリッチ・カレッジに通うも卒業することなく中退。1912年アメリカへ戻り、いくつかの職業を経たのち、1933年にパルプ雑誌“ブラック・マスク”に寄稿した短篇「脅迫者は射たない」で作家デビューを飾る。1939年には処女長篇『大いなる眠り』を発表。1953年に発表した『ロング・グッドバイ』は、アメリカ探偵作家クラブ(MWA)賞の最優秀長篇賞に輝いた。1959年没。享年70(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)