村上春樹著『回転木馬のデッド・ヒート』感想

■「プールサイド」


 35歳になった春、彼は自分が既に人生の折りかえし点を曲がってしまったことを確認した。
 いや、これは正確な表現ではない。正確に言うなら、35歳の春にして彼は人生の折りかえし点を曲がろうと決心した、ということになる。
 もちろん自分の人生が何年つづくかなんて、誰にもわかるわけはない。もし78歳まで生きるとすれば、彼の人生の折りかえし点は39ということになるし、39になるまでにはまだ四年の余裕がある。それに日本人男性の平均寿命と彼自身の健康状態をかさねあわせて考えれば、78年の寿命はとくに楽天的な仮説というわけでもなかった。
 それでも彼は35歳の誕生日を自分の人生の折りかえし点と定めることに一片の迷いも持たなかった。そうしようと思えば死を少しずつ遠方にずらしていくことはできる。しかしそんなことをつづけていたら俺はおそらく明確な人生の折りかえし点を見失ってしまうに違いない。妥当と思われる寿命が78が80になり、80が82になり、82が84になる。そんな具合に人生は一寸刻みに引き伸ばされていく。そしてある日、人は自分がもう50歳になっていることに気づくのだ。50という歳は折りかえし点としては遅すぎる。百まで生きた人間がいったい何人いるというのだ? 人はそのようにして、知らず知らずのうちに人生の折りかえし点を失っていくのだ。彼はそう思った。
(中略)
 だから35回目の誕生日が目の前に近づいてきた時、それを自分の人生の折りかえし点とすることに彼はまったくためらいを感じなかった。怯えることなんて何ひとつとしてありはしない。70年の半分の35年、それくらいでいいじゃないかと彼は思った。もしかりに70年を越えて生きることができたとしたら、それはそれでありがたく生きればいい。しかし公式な彼の人生は70年なのだ。70年をフルスピードで泳ぐ――そう決めてしまうのだ。そうすれば俺はこの人生をなんとかうまく乗り切っていけるに違いない。
 そしてこれで半分が終わったのだ。
 と彼は思う。


 少し前にも紹介したが、ある日突然、そういえば村上春樹の小説で35歳になって生き方を変えようって話があったなと思い出た。それで、無性にケンタッキー・フライドチキンが食べたくなるのにも似た抑えがたい衝動に駆られ、文庫が置いてある実家まで飛んで行って、この物語を読み返してみることにした。若干、記憶してたものと違う部分もあるが、35歳という年齢を「人生の折りかえし点」として位置づけるのは、僕にとって合点がいったし、この主人公のように35歳の折りかえしを失敗してはいけないという意識が、今はすこぶる強い。


 ちなみに、似た様なことが以前にもあった。24歳のときだ。24という年齢に差し掛かるときにも、生き方を大きく変えようとしたのだ。結果、高校時代から10年ほど続けてきたバンドを辞めた。なんだ、バンドかよと君は思うかもしれない。そもそもそんな年齢になるまでまともに働きもせずバンドやってたのかよとバカにするかもしれない。でも、僕にとっては、志願兵として戦場に出ていくような一大決心だったのだ。24歳という年齢、つまりは2回目の年男になる年齢というものが、目の前に大きな壁として立ちふさがっており、「ここから生き方を変えよう、生まれ変わらねば」みたいな意識がとてつもなく強く絶対的なものであった記憶がある。2001年の話だ。


 僕はどうやら年齢に対する妙なこだわりがあるのかもしれない。20歳の誕生日に併せて運転免許をとったし、30歳のバースデーにはレーシック手術をした。それぞれの節目に行動範囲と可視範囲を広げたわけだ。まあ、500本安打から2000本安打までの節目をすべてホームランで決めた落合ほどではないが、その手のこだわりは持っているタイプなのだろう。だからまたこの先も、どこかの区切りで変化を強く求めるんだと思う、「変わらなければ!」と。ちなみに日本の男性の平均寿命は79.64歳、女性が86.39歳(2010年調査)だとか。あと何回このような転機があるのだろうか。


※参考
◆日本女性平均寿命86.39歳 やや低下、世界一は維持


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【内容情報】(「BOOK」データベースより)
現代の奇妙な空間ー都会。そこで暮らす人々の人生をたとえるなら、それはメリー・ゴーラウンド。人はメリー・ゴーラウンドに乗って、日々デッド・ヒートを繰りひろげる。人生に疲れた人、何かに立ち向かっている人…、さまざまな人間群像を描いたスケッチ・ブックの中に、あなたに似た人はいませんか。

【目次】(「BOOK」データベースより)
はじめに・回転木馬のデッド・ヒート/レーダーホーゼン/タクシーに乗った男/プールサイド/今は亡き王女のための/嘔吐1979/雨やどり/野球場/ハンティング・ナイフ