東京エトセトラ@東京ドーム

 親父は大の巨人ファンでした。


 だから、僕が上京してからちょくちょく「東京ドームでジャイアンツの試合が観たい」というようなことを言っていましたが、まず僕自身が巨人の試合に興味がないし、仮に巨人戦のチケットを取ったところで巨人を応援する気になんてならないし、かといって家族で野球観戦してるのにお互い違うチームを応援するのも変な話だし……、など考えているうちにめんどくさくなって、適当にあしらっていました。4~5年くらい。


 しかし、そのうち親父に病気が見つかって、ああ、なんか親孝行でもしないとなと思うようになり、ある年のゴールデン・ウィークに両親が東京に遊びに来た際にドームに行く事にしました。どうせなら、ドーム行こうと。


 しかし僕は甘かったのです。それほど真剣にこの野球観戦のことは考えていませんでした。ちょうどその頃は、野球不人気が囁かれており、常に満員御礼だった東京ドームにも空席が目立つようになった時期だったので、別にチケットなんてなくても球場に行けば当日券あるだろ、なくてもダフ屋から買えばいいと高をくくっていました。つまり、チケットも何も用意せずに、まあ試合やってるから行こうよ、というか俺が連れてってやるよという軽いノリだったのです。


 ところが、どれだけ野球が不人気でも、どれだけ不景気が叫ばれようと、どれだけ天気が悪かろうと、ゴールデン・ウィーク真っ只中のジャイアンツ本拠地の試合です。ましてや巨人対中日というカードということもあり、当日券どころかダフ屋の姿すら見当たりません。結局、このときは、家族4人で国分寺から中央線に乗り、総武線に乗り換え、1時間かけて東京ドームに行って、少しウロウロして、行きとは逆のルートで帰ってきただけでした。親父は後楽橋あたりから、ちらほら目に入る東京ドームを見て「おおテレビで見とるのと一緒や」とご満悦で、「ドームが目の前で見られただけでも充分だ、ありがとうと」か言っていましたが、僕はとても情けなかった。チケットくらいなんとかできただろうにと。


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 その後、手術が何度かあって、タイミングを逃していましたが、2004年に巨人戦のチケットを4枚取りました。そのときの思ったことを、今でも鮮明に思い出せます。チケットなんてこんなに簡単に取れるじゃないか。いつでも取ることができただろうに――。


 今度こそ家族4人分のチケットを確保したことを実家に伝えました。ドームなので雨天中止もないし、これ以上心配することはありません。ましてや対戦相手も当時から勢いのない横浜ベイスターズだったので、圧勝できるだろうという余裕すらありました。そして、当然のことながら先発投手が誰かという点と、ちょうど清原の2000本打が、これくらいの時期に出るのではないかということが気になりはじめます。


 1ヶ月前くらいから巨人のローテーションを計算するようになりました。すると、どうやら先発投手はエースの上原になりそうな日程なのです。これは願ってもない。その後、僕は毎日巨人の試合日程表を眺め、巨人のローテーションを予想していました。他球場で雨が降った場合、この投手はスライドするか否かとか、スライドしたとしてもエースの登板日には影響させんだろうなどなど、巨人専属のスコアラー並にローテーションのやりくりを計算していたと思います。


 また、一方で清原は2000本安打を先に達成してしまったので、上原に投げてほしいなという期待が高まって行きました。そして1週間ほど前になると、ほぼエースの投げる試合はわかってくるし、前日もきっちりローテーション通りだったので、試合当日は間違いなく上原だと確信できました。ホームの試合でエースが投げる。これ以上にないお膳立てです。そして東京に出てきた親父に「明日は、上原投げるよ」ととても誇らしげに言ったことを覚えています。まるで自分の手柄であるかのように。


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 そしてまた国分寺から中央線に乗り、水道橋に行き、再び東京ドームへ。グッズ売り場はこっちが空いているとか、ビールは外で買ったほうが安いなどと自慢げに誘導し、風圧の強い回転扉からドーム内に4人で入りました。1塁側の内野席。思ったよりも後ろの方でしたが、1塁コーチャーズ・ボックスからややライト・スタンドよりの悪くはない位置です。僕はこれまでに何度か東京ドームに入ったことはありましたが、内野席ははじめてだし、ましてや1塁側という北緯38度線を超えたような場所に座ることもはじめてだったので、僕も初東京ドーム観戦のような気分になれました。


 先発投手は、エース上原浩治。背番号19。先発投手の発表でこれほど力が入り、これほど緊張したのは、後にも先にもこのときだけかもしれません。石川県立で吉見のコールを聞いたとき、日本シリーズでチェンの名前を目にしたときよりもエキサイトしました。


 しかし、残念なことが2つありました。1つは高橋由伸がこのあたりから故障がちで一軍登録すらされてなかったこと。そして、清原。2000本安打を達成し、その後飲み歩いたか何かで豪遊した結果、体調を崩したと噂されており、実際のこの日はベンチにもいないようです。何となく前日までの報道で知っていたことですが、実際にドームに来てみて清原の姿がないとなると、無性に腹が立ってきました。ふざけるなよと。高橋、清原という2人の看板選手がベンチにもいないとか、何が巨人軍だよ。いつにも増して巨人が憎くなりました。ましてや清原、なんだよと。1塁側のスタンドから、ファーストに清原、ライトに由伸と絶好のロケーションを期待していただけに、がっかりでした。(のちに清原は、著書『男道』か何かで、アメリカMLBの試合を観戦した際、お目当てのブラディミール・ゲレーロが欠場し、非常にがっかりしたことを書いていました。そして「お目当ての選手が出場しないことで観客はこんなに落胆するものなのか」みたいな感想を述べていましたが、引退した今頃気づいても遅いんだよバカヤロウと毒づいたいことを覚えています)


 試合は、唯一の希望だった上原までもが期待を裏切り、当時まだベイスターズにいた多村(現ホークス)に2打席連続ホームランを浴びるなどで、4回か5回で交代してしまいました。守備では、ランナー3塁の場面、本塁クロス・プレーか、というような浅めの外野フライが上がった場面がありました。このときのライトは、キャプラーという外国人でした。メジャー・リーグのレッドソックスから、守備の良さを買われてやってきた助っ人です。出るぞ、レーザー・ビームだ、と力が入りましたが、フライを捕球したキャプラはバックホームせずに、というかハナからそんな気はなかったかのように山なりのボールをセカンドの仁志に返球。思わず「投げろよ!」怒鳴ったことを覚えています。打線も8回くらいに清水のホームランが出ただけで、それ以外は、これといった見せ場もなく試合終了。1対7とかでの大敗でした。負けてもなお巨人が嫌いになるような無様な試合でした。堀内政権1年目。巨人軍が崩壊しはじめる序章の時期のことです。


 親父は、「やっぱり生で観るのは違うな」と、それなりに満足気でしたが、僕は何ひとつ、うまいこといかなかったなと申し訳ない気持ちになりました。もちろん、僕がどうこうできることなど何一つなかったのですが。


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 結局これが最初で最後の家族での、東京ドーム巨人戦観戦でした。ただ、試合結果がすべてかと言われればそうでもないような気もします。負けたからしょうもなかったというわけでもないと。事実、2010年、落合監督の胴上げも観たけど、思い出としては「優勝しそうだからふらっと球場行ったら、ウッズが満塁弾打って胴上げ観た」というピンポイントなものに過ぎません。それ以上に、この家族での試合観戦が「東京ドーム」について語れる一番思い入れのある物語だと思っています。少し前に流行った東京タワーを題材とした小説のように、僕にとってのそれが東京ドームなのです。