どこからどこまでが日本人なのか?

 香港で暮らしていて、最初に感じ、以後ずっと感じ続けていたことのひとつに「香港には意外と日本人いっぱいいるんだな」ということがある。駐在として来てる日本人はもちろんだが、香港人や中国人と結婚して香港で暮らしている(そして一生香港で暮らすであろう)日本人も大勢いる。そして、ミックス(いわゆるハーフ)も多く、国籍は日本人で名前も日本人風、日本語も喋れるが、一度も日本で生活したことがない(旅行でしか訪れたことがない)という人間もいる。


 とにかくいろんな形の「日本人」が居て、終いには「日本人」って何なんだ、と思ってしまう。少なくとも、僕がこれまでに勝手にイメージしていた日本人という枠組みからは大きく外れているパターンの日本人が多々現れてきたわけだ。日本人というのは、日本で生まれて日本で長く暮らしている人間みたいに思っていたが、まったくそうとは限らない。


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 話は変わるが、2019年にラグビーのワールドカップが日本で開かれる。ラグビーの日本代表には、日本国籍でない人間でも選出され、パッと見では日本(人)代表っぽくない人が混ざった日本代表であることに違和感を感じる人も少なくないはず。ちなみに、ラグビーでの日本代表として出場するための条件は次の3つがあり、そのいずれかの条件をクリアしていることが前提となる。まず出生地が日本であること、次に、両親、祖父母のうち一人が日本出身であること、そして3つ目として、日本で3年以上、継続して居住していること。3つ目条件が非常にユニークだと思うが、でも実はこの発想こそが僕が香港で新しく得たモノの見方のひとつである。その国に居て、生活して、経済活動をしている人間であれば、代表を名乗る権利はあるだろうと。そこで暮らすということ、そこにある文化を受け入れて生活するということは、人種や国籍以上に意味がある。だって僕自身も香港で生活していたときは、日本人として香港に居るというより、香港に居る人間という感覚だった。つまりは、もし自分がなんらかの代表になれるのなら、日本代表よりも香港代表に入る方がしっくりくるという意見だった。


 だから正直これまではちょっとした違和感と醜い先入観込みで観戦していたラグビーの国際試合だが、これからはサッカーやオリンピックとは違った親しみを持って応援ができそうだ。本当に日本が好きと思える人間でつくられたチームであるはずだから。

帰国して1ヶ月

 帰国して1ヶ月経つが、意外すぎるほどすんなり日本に馴染めている気がする。まあ当たり前といえば当たり前で、そもそも生まれ育った国だし、街だし、これまでも定期的に返ってきていた場所だからだろう。最初に香港に引越したときのインパクトや、そのとき感じた希望や不安みたいなものは一切ない。そしてそれと反比例するかのように香港に居た3年半というのが、意外すぎるほどすんなり消え去ろうとしているのも事実。正直、そんなこと(香港で暮らしていたこと)もあったっけ、くらいの消え入りそうな記憶の中のひとつの出来事でしかない。ちょっと長い(海外)旅行だったくらいの温度感、かなりリアルに感じた夢くらいの存在感。


 香港に居た(今も居る)同僚に、この香港の生活は「人生における夏休みだった」と軽い気持ちでLINEしたのだが、自分で言いながらも本当に100点満点の説明だと思っている。だからこそ、香港に行って得たものって何かあっただろうかと考えてしまう。今の所、楽しいこともありましたね、くらいで終わってしまっている気がするわけだ。流石にそれでは、さみし過ぎる。東京から金沢に戻ってきたときは、もっと何か区切りのようなものがあった気がするのだが。


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 でもまあ、そんなもんかな。過ぎ去ってしまったものは、過ぎ去ってしまったもの。でも香港のことは、じっくり消化してから、書き落とさないといけないと思っている。日本に帰国するとき、そして日本から香港にもどったときに、空港と自宅を結ぶタクシーのなかで感じていたあの不思議な感覚にこそ、何か大事なヒントが眠っているような気がする。

20日北國新聞朝刊「地鳴り」に載ったよ

海外に対して不便さが残る(原文)<北國新聞「地鳴り」


2015年北陸新幹線開通直後、金沢から香港に転勤しました。その後、県外からの観光客も増え、近江町や金沢おでんが全国的に注目されているというニュースをよく耳にしたものです。そして、この秋三年ぶりに金沢に戻って来ました。確かに県外ナンバーの車を多く見かけます。日本各地と金沢との距離感は、物理的にも気持ち的にもぐっと縮まったのかもしれません。ですが対海外の面では、まだ不便さが残っています。
小松空港発着の国際便は少なく(香港直行便もありません)、関西国際空港セントレア空港と小松を結ぶ便もないのが現状。海外観光客に対して、金沢までのアクセスは非常に面倒なまま。
世界で最も美しい駅に選ばれた金沢駅、雪吊りの兼六園などは外国人にこそインスタ映えのするスポット。2020年にむけ、次は海外観光客誘致にも目を向ける段階なのではないでしょうか。

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 いざイチからスケジュール立てて海外行こうと思ったら、羽田か関空かに出ないといけなくて、関空セントレアの場合は小松離発着の飛行機がないという事実を知って(飛行機飛ばすには近すぎるんだろうけど、電車移動でも3時間くらいかかっちゃうとなると、時間優先するなら羽田に飛ぶしかない)、なんだよもう超不便だな国内移動だけで1日潰れるじゃんって今さらながらに気づいた。せめて小松から香港やハワイくらい行けてもいいと思うけどな。

ローカル・フードを食べよう

 香港には日系の飲食店が多々あり、香港生活がはじまった直後はよくよく利用していた。味に馴染みがあるのは当然だが、店の雰囲気に戸惑うことはないし、なんといっても外国語でのオーダーのやり取りにビビる必要がない。そもそも店員さんも、注文するのに必要な日本語くらいはわかってくれているという安心感もある。ちなみに、日系レストランに行く度に、香港人が器用だなと思った一面があるのだが、日系のお店では香港人スタッフは皆「いらっしゃいませー」「ありがとございましたー」と日本語であいさつする。客が日本人でも香港人でも中国人でも「いらっしゃいませー」だ。もちろん、妙なアクセントの場合もあるが、とにかく接客マニュアルとして「日本語であいさつ」というのがあるのだろう。一方、日本で中華レストランに入店しても、店員は皆「いらっしゃいませー」と言い、「ニーハオ」とは言わない。もし、日本人のスタッフが日本人相手に「ニーハオ」とあいさつしたら違和感を感じるだろう。でもこういうところからも、日本人が外国語苦手意識をなかなか克服できない一つの要因が垣間見えるような気がする。香港人は日本のレストランで働いたら、自然と日本語であいさつするようになる。言葉の壁、外国語に対する抵抗がすこぶる低い環境なのだ。


 ともかく、日系の飲食店では、日本円換算すると日本で食べるよりかは1.5倍ほど高い値段となり、さらに10%のチャージ料(飲食店のみに発生するもの、絶対払わなければいけない)が上乗せされる。香港に慣れてくるに従って、割に合わないなと感じるようになった。


 で、言葉という恐怖感を感じながらも、徐々に香港ローカルのお店に行くようになった。同じように香港駐在している日本人は、誰もがいつかはブチ当たる壁だろう。ということで、何かの役に立てばと、僕なりのローカル店のハウ・トゥをまとめてみた。


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 たいていの香港のローカル店(茶餐廳:チャーチャンテン)には、メニューに番号やアルファベッドが割り当ててある。だから、オーダー時には、その番号かアルファベッドを伝えればいい。「ナンバー3、プリーズ」みたいに。すると、店員は、小さなメモ用紙に汚い字でテーブル番号とメニュー番号の3をメモしながら、十中八九次に何か聞いてくる。その質問の内容は「飲み物は何にする?」ということ。ので、「アイス・レモンティ」とか「アイス・ミルクティ」と言っておけば間違いない(サービスで付いてくるか3ドル程度の料金)。ただ「ミルクティ」とだけ答えると、アイスかホットか訊かれるから、一気に答える方が双方にとって手間が省ける。で、店によっては、メニューの辛さの度合い(ジョンラーと答えればいい、中辛という意味だ)や、ここで食うか持ち帰って食うか(ヒアかアウェイと答えればいい)を無愛想に尋ねてくる。注文時に訊かれること、交わさないといけない会話はこんなところだ。あとは特に言葉なんてわからなくても、なんとでもなる(店員もめんどくさい外人だとか思いながらも、無難な対応をしてくれる)。


 ちなみに、僕が最後の最後になって、気に入ってランチに何度か通ったのは、尖沙咀の尖東よりに位置するところにある「川婆婆(チュンポポ)」というお店。外賣(オイマイ)と呼ばれる、いわゆる出前もやってるが、わざわざ歩いてよく行った。ちなみにこのお店のランチでは、注文番号と辛さと飲み物を答えればいい。んで、回鍋肉で中辛を頼むと、信じられないくらいの唐辛子が掘り起こされる按配。HK$50程度(下の写真は、回鍋肉と麻婆豆腐。それでも合わせてHK$100しない)。日系のラーメンを食べれば、この倍くらいはする。辛いのが大丈夫な人にはおすすめである。


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◆川婆婆 – 香港尖沙咀的川菜 (四川)火鍋中菜館 | OpenRice 香港開飯喇

九龍との別れ

 香港に来て4年目になるが、日本に帰ることになった。正確には3年6ヵ月、永住権所得にはちょうど半分足りない。日数では(今月末付けで)1279日香港で暮らす計算になる。僕の一生ががあとどれだけ残っているか知らないが、その中のこの1279日というのは、本当に本当に大きく、重く、濃いものである。


 とにかく香港は大都会だった。でも東京とはまったく色合いの違う都会だ。思うままに言うと、雑で汚い。良く言い換えれば、野生的でスリリング。上を見ると40階クラスの超高層ビルがいたるところに建ち並び、ストリートの真上には香港名物ともいえる看板、ネオンが視界いっぱいに広がっている。でも足元を見ると路面はデコボコしてるし、よくわからないゴミやガラクタが散乱してるしゴキブリだって闊歩しており、ふいに異臭に襲われることもある。この落差がとにかく魅力的。「足元が疎かになっている」というのを街として描くとすると、香港ができあがる。また東南アジア人や欧米人など人種も様々で、飛び交う言葉も広東語や普通語、英語にとどまらない。昔、社会科の授業でアメリカのニューヨークは人種のるつぼだとか習ったが、香港だって充分にるつぼだと思う(ニューヨークに行ったことないけど)。この雑多感がたまらくチャーミングだった。いつの間にか、日本の方にアウェー感を感じるくらい香港に馴染んでいた。それだけ香港の生活を満喫できていた気がしていただけに、正直残念だ。


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 そしてこの香港ライフの大きな反省点として、香港に来てから香港のことをまったく記録していないということがある。このブログはもちろん、facebookにもこれといった投稿を残していないし、iPhoneの中の写真画像すらほとんど存在しない。テレビで紹介されるような定番スポットには当然足を運んだし、安くて美味しいお店も数多く行ったが、ほとんどが店名はもちろん、メニュー名も覚えていない。とはいえ、最後にまとめておかないといけない。国としての不思議な立ち位置、複雑な文化、馴染みがありながらも独特な食文化、そしてそこで暮らしている人々、等々。20代のほとんどを過ごした東京の11年半、それを軽く凌駕するインパクがあった香港の3年半。書き残しておかなくては。