伊坂幸太郎著『グラスホッパー』を読んで

 なんとなくiBooksで購入。


 何人もの「殺し屋」が登場する物語なのだが、主人公はごく一般的な善良な市民という設定。血の気の多い殺し屋や悪党達が次々あらわれ鬼気迫る中で、性善説の主人公の言動にイライラする場面もあるが、ストーリーがとてもしっかりしているので、読み応えがある。たとえ共感できない場面があっても、物語の展開に巻き込まれてしまうのだ。でも正直、伊坂作品の中での評価としては、さほど高くないかもしれない。『ゴールデンスランバー』や『重力ピエロ』『死神の精度』『アヒルと鴨のコインロッカー』と比べると、次点くらいの位置付けかな。アクマで僕の個人的な好き嫌いだけど。


 で、どうでもいいことかもしれないが、映画「ゴールデンスランバー」を観てから、どうも伊坂作品の主人公は堺雅人をイメージしてしまう。この作品も堺雅人主演で映画化しても良いのではないかと思う。と思って調べてみたら、生田斗真主演で秋に映画がスタートするらしい。この手のテンポのある物語は映画でもきっと観ごたえがあるはずだし、機会があれば劇場に行ってみたい。


◆映画『グラスホッパー』公式サイト


【内容情報】(「BOOK」データベースより)
「復讐を横取りされた。嘘?」元教師の鈴木は、妻を殺した男が車に轢かれる瞬間を目撃する。どうやら「押し屋」と呼ばれる殺し屋の仕業らしい。鈴木は正体を探るため、彼の後を追う。一方、自殺専門の殺し屋・鯨、ナイフ使いの若者・蝉も「押し屋」を追い始める。それぞれの思惑のもとにー「鈴木」「鯨」「蝉」、三人の思いが交錯するとき、物語は唸りをあげて動き出す。疾走感溢れる筆致で綴られた、分類不能の「殺し屋」小説。

【著者情報】(「BOOK」データベースより)
伊坂幸太郎(イサカコウタロウ)
1971年千葉県生まれ。95年東北大学法学部卒業。2000年『オーデュボンの祈り』で第5回新潮ミステリー倶楽部賞を受賞しデビュー。『アヒルと鴨のコインロッカー』で第25回吉川英治文学新人賞、短編「死神の精度」で第57回日本推理作家協会賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

角田光代著『対岸の彼女』を読んで

 iBooksでなんとなくおもしろそうな本を探していて、角田作品なら間違いないだろうということで購入。まあ特別絶賛するこどでもないが満足はできた。


 ざっくりあらすじを説明すると、子育てに追われながらも働く女性とその会社の経営者の過去、コンプレックスや他人の目が気になって仕方がない女子高生時代を描いた2人の女性の物語。軸となっている舞台は非常にありふれたもので、「こういうテーマで物語を描きなさい」と言われたら、なんの変哲もないマンネリしたものができあがってしまいそうであるが、そこに深みを出しているのがさすが。「日常」のリアリティが色濃くあり、何も奇をてらったことはしていないのに、どっこいドラマティックであり退屈もしないという、とてもバランスのとれたストーリーになっている。一方で、何か大事が起きそうで起きないという一面もあり、そこで物足りなさを感じる人もいるかもしれないが。


 そんななか僕がメモしたのはこちら。まあ誰もが疑問に思っている「生きる」こと、もっと泥臭くいうと「生活し続けること」の意味のようなものを非常にシンプルに言い表しているような気がする。

なぜ私たちは年齢を重ねるのか。生活に逃げこんでドアを閉めるためじゃない、また出会うためだ。出会うことを選ぶためだ。選んだ場所に自分の足で歩いていくためだ。


【内容情報】(「BOOK」データベースより)
専業主婦の小夜子は、ベンチャー企業の女社長、葵にスカウトされ、ハウスクリーニングの仕事を始めるが…。結婚する女、しない女、子供を持つ女、持たない女、それだけのことで、なぜ女どうし、わかりあえなくなるんだろう。多様化した現代を生きる女性の、友情と亀裂を描く傑作長編。第132回直木賞受賞作。

【著者情報】(「BOOK」データベースより)
角田光代(カクタミツヨ)
1967年神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。90年『幸福な遊戯』で第9回海燕新人文学賞、96年『まどろむ夜のUFO』で第18回野間文芸新人賞、98年『ぼくはきみのおにいさん』で第13回坪田譲治文学賞、『キッドナップ・ツアー』で99年第46回産経児童出版文化賞フジテレビ賞、2000年第22回路傍の石文学賞を受賞。03年『空中庭園』で第3回婦人公論文芸賞、05年『対岸の彼女』で第132回直木賞、06年「ロック母」で第32回川端康成文学賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

抗日戦勝記念日と広島平和記念式典

 自分のGoogleカレンダーに、「香港の祝日」も表示されるようにしてる。当然のことながら、日本にいると馴染みのない祝日が見受けられる。例えば、今年2015年であれば、4月のアタマ、3日から7日にかけて祝日が設けられており、大型連休になっている。これらはイースター祭」と言われるキリストの復活を祝った連休である。とはいえ香港はクリスチャンの国でもないわけだが、まあイギリス文化の名残みたいなもんだろうか。一方、5月25日(旧暦の4月8日)は、お釈迦様の誕生日で祝日。日本ではなかなかみられない宗教的な意味合いの祝日があるわけだ。


 で、9月3日にも祝日が設けられており、「70th Anniversary of Japan's Surrender」と表記されている。「日本降伏」とあるので、何かしら興味が惹かれる。


 1945年8月15日が終戦記念日であることは、日本人なら誰でも知っているが、このポツダム宣言のあと、日本が降伏文書に調印したのは、同年の9月2日になるらしい。で、中国では、この翌日9月3日を抗日戦勝記念日としているようだ(調印の翌日から本当の自由を得たという意味合いだろうか)。しかし、去年などは記念日とはいえ、祝日になるわけではなかったのだが、今年2015年は、この降伏から70周年ということもあって、祝日になっているらしい。


 と、ここで2つのことを思った。


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 まず、日本が香港を占領していたという事実をはじめて知った。アヘン戦争後(1842年)、香港がイギリスの植民地になったことはwikipediaの香港のページで厭というほど見て覚えた。しかし第二次世界大戦中の1941年12月25日(真珠湾攻撃をしたすぐ後だ)日本は香港い居たイギリス軍を追い出し、侵略に成功。日本はイギリスに代わり、香港を統治下においたのだった。そして、1945年の日本降伏後、香港は再びイギリスの植民地となり、1997年7月1日(7月1日も香港では祝日)に中国返還され、今に至るという忙しい歴史である。勝手なイメージだが、戦争において日本は、韓国や中国には憎まれるだけの統治や占領、侵略があったのかもしれないけど、その他の国には特にこれといった関わりがないと思っていた。大きな間違いだったようだ。現在、これだけの親日国家である香港にだって侵略攻撃をしていたわけだ(そこで、住民にどれだけの危害を加えたのかは知らないが)。なんとなく心苦しい気分になった。


 一方で、「抗日戦勝記念日」というようなネーミングには、やはり日本人としては良い気分はしない。そもそも人間同士で戦争に勝った負けたなどを記念してどうするんだとも思う。だって僕が何も知らずに、そばにいる香港人や中国人に9月3日は何で祝日なのか訊いたときに、「戦争で日本が負けを認めた記念日です」とか返答されると、お互い気まずいことは目に見えている。過去にあった暗い事実を、何ら関係のない今の人間にまで残さないでほしい。歴史の授業や家族の会話のような身内で語り継ぐことは必要かもしれないが、対外的に目に見えるような場所や形で掲げない方が良いのではないかと思った。争い事は、例えそれが終わったとしても、些細なめんどう事がいつまでも残してしまう。


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 そして今日は広島に原爆が落とされた日でもある。と改めて原爆のことを考え、戦争で被害を受けた側の立場で考えてみると、過去の争いにおいて、傷つけた方も傷つけられた方も、その事実はしっかり認識すべきなのかなとも思ってしまう。世界中のニュースで、今日くらいはヒロシマの式典の様子を放送しろよと思ってしまう。そして、自分の立ち位置によって主張って変わってしまうんだな、でもそれがあらゆるいざこざの根源なんだろうなと感じた。

岩井俊二監督「ヴァンパイア」を観て

 Huluで視聴。ちなみにHuluは、ちょうどこの「ヴァンパイア」を観たところで、これ以上観たいと思う作品が見当たらなくなったので、2週間の無料期間のみで契約を終了させた。


 2012年日本公開。岩井俊二監督作品ということで気になってはいたが、主演が外人ばかりということであまり魅力を感じず、当時映画館には行かなかったことを覚えている。


 で、感想としては、観ない方が良かったなと。というのも、タイトルは比喩でも暗喩でもなく、リアルに「血」を吸い取ることを主題としたシナリオだったので、正直気色悪かったのだ。だから役者が外人だとか、言葉が英語だとかまったく関係なく、生理的に受け付けなかった。ストーリーも映像美もあまり覚えていない。まあもちろん、血の演出が好きな人は楽しめると思うのだが。でも、たくさんの白い風船を身体に取り付けるシーンはさすがと思ったかな。岩井俊二らしいなと。その一方で、これまでに見られた岩井俊二らしいなという演出は少なかったようにも思えた。ある種実験的な作品なのかもしれない。


【内容情報】(「BOOK」データベースより)
血を抜かれた若い女性の遺体が相次いで発見され、“ヴァンパイア”と呼ばれる連続殺人犯が世間を騒がせる。犯人はアルツハイマーの母の面倒を見る善良な高校教師、サイモン・ウィリアムズ。被害者の女性は皆、自殺志願者であった。血に取り憑かれた男と犠牲者たちとの数奇な共犯関係の絆。彼らは人知れぬ場所で儚くも希有な愛を育んでゆく。孤高なる美意識と世界観で読者を魅了する岩井ワールド。エーテリアルな愛の物語。

【著者情報】(「BOOK」データベースより)
岩井俊二(イワイシュンジ)
1963年宮城県生まれ。95年「Love Letter」で映画監督としてのキャリアをスタート後、「スワロウテイル」「リリイ・シュシュのすべて」「花とアリス」など数々の作品を発表。近年は活動を日本国外にも広げ、10年、「ヴァンパイア」をカナダ・バンクーバーにて撮影。2011年にはオフィシャルHP『岩井俊二映画祭』をオープン。メディアの枠を超え、多彩に活躍するマルチクリエイターである(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

映画「桐島、部活やめるってよ」を観て

 数年前に小説で読んだのだが、いまいちだった記憶が残っている。とにかくさわやかで瑞々し過ぎて、感情移入できなかった。青春時代の青臭い物語を恥ずかしく感じたわけだ。でも、読みながらこれは映像化されたらおもしろそうだなというのは、なんとなく感じてもいた。なんとなく。で、映画チャンネルで放送されていたので視聴した。


◆朝井リョウ著『桐島、部活やめるってよ』を読んで


 あらすじは、とある高校にて、「桐島」君が部活を辞めると言い出したことによって起こる桐島君のまわりの人間の話。ネタバレになるのだが、この物語のおもしろいところは、タイトルに登場している「桐島」君が、本編には一切登場しないところだ。桐島君の親しい友人や彼女、そしてほとんど繋がりのないクラスメイトなどの話がオムニバス形式で展開されている。だから、「桐島」という主人公(?)は登場しないうえに、映画の中での視点(中心人物)もコロコロ変わるというヘソマガリな切り口が観処とも言えるし、混乱しないためのポイントとも言える。まあ、高校時代ってのは、非常に狭い世界の中で生きており、その中でも「部活」というのは、その人を語る上での重要なコミュニティであり、肩書きである。もし高校生が名刺を持つ文化があり、名刺交換をすることがあるなら、誰もが真っ先に相手の「部活」が何と書かれているかに目をやることだろう。だから、誰かが部活を辞めるというニュースは、非常に大きなトピックスになり、多かれ少なかれそこにドラマが生まれるわけで、そこを切り取って描いた、いくつかの物語を集合させたものである。ともかく、若さ故の心理描写がメインとなって、きれいにまとめられた物語は、文章より映像の方が僕はしっくりくる。


 映画は2012年公開で、いくつもの賞を受賞している。神木隆之介橋本愛東出昌大らが主演。橋本愛東出昌大はいくつかの新人賞を受賞。映画版はおすすめだと思う。


【解説】
日本国内映画賞レース最多獲得を独走!ネット上の映画ランキング上位独占の問題作!観た人それぞれの答えがある…。観客・マスコミ・評論家を問わず、“語りたくなる映画"ナンバー1/劇場で観た人の熱が生み出した、奇跡のロングランヒット作!
【ストーリー】
ありふれた時間が校舎に流れる「金曜日」の放課後。1つだけ昨日までと違ったのは、学校内の誰もが認める“スター"桐島の退部のニュースが校内を駆け巡ったこと。彼女さえも連絡がとれずその理由を知らされぬまま、退部に大きな影響を受けるバレーボール部の部員たちはもちろんのこと、桐島と同様に学校内ヒエラルキーの“上"に属する生徒たち、そして直接的には桐島と関係のない“下"に属する生徒まで、あらゆる部活、クラスの人間関係が静かに変化していく。校内の人間関係に緊張感が張りつめる中、桐島に一番遠い存在だった“下"に属する映画部前田が動きだし、物語は思わぬ方向へ展開していく。